見出し画像

ご報告〜島生活38ヶ月経過〜

東京を離れて鹿児島県の長島町で暮らし始めて3年になります。

すでに色々と事情を知ってくださってる方もいらっしゃいますが、ちょっと遡って語らせてもらいます。

僕は地域おこし協力隊という制度を使って、鹿児島県の長島町で働かせてもらっています。地域おこし協力隊としてのミッションは”長島町が舞台の映画を制作する”ことです。


長島に移住するまでは、出来合いの本やDVDなどを販促する仕事に長らく携わっていました。ときにはアドレナリンが溢れ出る瞬間も味わえて思い返すと楽しかったです。

ただ、長らく同じ場所にいた結果、"姿形あるものは届けられるけど、姿形へと至った作品に宿った想いが分からない"という自分に打ち込まれた楔の存在を感じ始めるようになりました。
その楔は自分を日に日に悶々とさせ、苦しめ、自信を喪失させました。

その悩みのドツボにハマった時期に、原点を思い返したりしました。
新卒の就職活動で、"自分が制作した広告で世界をあっと言わせたい"なんて大口を叩いていた時期を思い出しました。当時、広告代理店は全滅でしたが(笑)
なので元来、他人が作ったものではなく、自分が作りたい人間だったよなぁ、なんて立ち返ったりしました。

悩みぬいた末に、販売するサイドの人間から制作するサイドの人間にならないと絶対に答えは出ないだろうと思うようになりました。

その結果、長島町にも鹿児島にも縁が無いけど、「映画を作る!」その気概だけで長島町に行く選択をしました。
映画なんて作ったことなかったですが、当時の自分にとって、救いはコレしかないんだ、そう勝手に確信し、即決しました。
当時の彼女に覚悟を告げたときに、「鹿児島に行ったらもう私たちはやっていけない」と、泣かせてしまったことを、文章を書きながら思い出しました。罪な男だなぁ・・・笑

そうして、"どうせあと30年以上働くんだから、そのうちの3年ぐらい武者修行のためにいいだろう"と周囲の人と同じ方向を向いていたレールから飛び降りることにしました。
だから今までの友達や知り合いからも"コイツやべーな"って選択に見えたと思います。
収入も激減し、おまけに婚期も失っ・・・いや、少し遅れただけだし!!
とにかく無謀です(笑)


だけれど、自信を持って言えます。
長島に来て、与えてもらえたもののほうが圧倒的に多かったです。

長島町を舞台にした映画「夕陽のあと」が1年前に公開されました。
映画を作るとは、なんて効率の悪いことなんだろうと幾度も思いました。
ただ、大勢の人に支えていただいたおかげで、とにかく一生懸命に食らいつき、執念に突き動かされ完成することができました。
「夕陽のあと」の話しは聞き飽きた方も多いと思うから必要以上に語りませんが、今でも礎となっている胸を張って誇れる財産です。

まだまだ長島で得たものは数えきれないほどにあります。

長島でなければ出会うことが無かった多くの出会いに巡り合うことができ、生き方や生き様に触れ、とにかく様々なことを学ばせていただきました。
こんな大人になりたい、そんなお手本みたいな人だらけです。
長島に来てそんな皆さんに出会うことがなければ、自信を失っていた自分に、まだまだ多くの可能性があることに気づいてやることもできませんでした。

おかげさまで、3年前には無かった「長島のあの人なら・・・」「地域に住んでいたら・・・」そんな価値観が僕の血液に混ざり込み、判断や生き方の指針になってくれています。教科書には載ってないし、本やWEBサイトで見つかるものではありません。これからの時代を生きていくためにとても大切なことです。

仕事だけではなく、たくさんの繋がりが広がりプライベートも本当に満喫できました。お酒もゴルフも一生分ぐらい経験したんじゃないかな?笑

遊ぶように働き、仕事のように遊ぶ生活を送らせてもらえて肥やしになっていることだらけです。遊び場も職場も生活する場もすべて同じなんてこと今後一生縁が無いのではないでしょうか。そんな環境で多くの皆さんと関わり合いながら生きてこれて幸せです。本当にありがたい。


地域おこし協力隊の任期は3年間です。
つまり、協力隊としてのタイムリミットを迎えます。

長島に来る前は、映画を制作して公開して2年で東京に戻ろうと考えていました。
振り返るとバカだなぁと思います。
半年足らずで長島に魅了されました。

いつからか、出張先から長島に帰ってきてはホッとする自分に気づきました。
自分の居場所は長島にあるって実感できるようになりました。

「長島に残りなよ!」
「漁師になりなよ!」
「じゃがいも育てなよ!」
「商工会の指導員になりなよ!」
「役場受けなよ!」
「婿に入りなよ!」
「K場さんの養子になりなよ!」

将来を心配してくれて、こんな言葉をかけてくださる方もいっぱいいらっしゃって本当にありがたいんですが、答えに詰まるからもう言わないでほしいです(笑)

長島は大切な場所です。代えがききません。いつまでも長島にいたい。

だけれど、それじゃダメなんです。
なんとも説明しづらいんですが、東京に対して引っかかるものがあるんです。

東京からケツ捲って逃げてきたってずっと整理がつかない気持ちというか。
だから、向こうでもう一度自分の腕試しをします。
こんな大口叩いたのに古巣に戻っていたり、東京以外のどこかや、はたまたO迫自動車で働いていたりするかもしれませんが・・・(笑)


当然ですが、タダでは帰りません。
言葉にすると安っぽいんですが、どうやったら長島や僕に関わってくれた人たちへ長島にいる間に恩返しが出来るんだろう?
そんな想いが「夕陽のあと」の公開を迎えた頃から湧き上がってきました。



出た答えというのが・・・・・・・・・・・・・・・・




相変わらず無謀な決断をしてしまう性分なんですが・・・・・・・・・・・・・





長島を舞台に、映画をもう一度制作します!!


過去にそれっぽいことを仄かしていましたが、断言です!確定です!

たくさん迷惑ばっかりかけてしまいましたが、
長島の映画を信じて付き合ってくれた皆さんと出会えたこと、
作り手の無骨に作り続ける妥協なき世界を学ばせていただいたこと、
大勢の皆さんとたったひとつの作品のために費やした時間は、
代えがたい資産です。

予算をかき集めて、地域で映画を作って
「やった〜!これで宣伝になる!」
なんて地元を離れれば見向きされない打ち上げ花火のようなご当地映画が乱立している時代に、海外の映画祭でも上映してもらえる対外的に評価されるべき作品になったことを誇りに思いますし、完成披露試写会の町民の皆さんのアンケートで「また長島舞台の映画を希望する」という声が90%を超えていたことは大きな自信になりました。
だからこそ、一発屋じゃ勿体ない。
二度目を挑戦していく、類を見ない街が作った映画を作っていこうと思いました。

さらに、「夕陽のあと」をきっかけに長島と接点ができた映画制作関係者の人たちも「長島は本当に撮影しやすい場所だ」と口々にしてくれており、次回作でも長島に思い入れのある方々に再びスタッフとして加わってもらいます。

実は、もう1年以上も第2弾の映画制作に時間を費やしてきました。
特に台本作りは両手両足じゃ足りないぐらい修正を重ねています。
頭から煙が出るんじゃないか、というぐらい台本に向き合っています。
面白い作品になりそうです。

1つの物語を、2人の監督が2人の女性主人公と共に、それぞれの視点で表現していく青春物語です。
「ひとつの物事を視点を変えることで、もっと違った世界の見え方があるのではないか」そんなテーマを目指しています。

俳優やスタッフ、撮影場所などもどんどんと決まってきています。
ロケハンもしました。このブログの写真は監督とロケハンをしている1枚です。
僕はプロデューサーとして作品に関わっていきます。

コロナによる再三の延期の末、5月下旬にコロナ対策をしっかりしながら撮影を進める段取りを組んでいます。

ただ、今回は予算が少ないです。
これは自らに課したことでもあるのですが、限りある状況や制約のなかで、いかにして面白い作品を作っていくのか、ということに向き合い続けながら挑戦していきます。

そのため、キャストやスタッフや規模感は前回に比べ大幅に縮小します。
ですが、「協力してください〜(涙)」なんてことを言ったら是非お力添えください!!!!!

慌ただしくなってきましたが、「夕陽のあと」を大勢の皆さんと作った経験があるので今回は焦らずにやっていけてます。


とは言いつつ、映画をもう1本作って長島への恩返しになるとは思ってません。
とてもとても足なんて向けて寝れない、一生返せないぐらいお世話になっているので、どこにいても長島との繋がりを大切にしていくつもりです。
居酒屋に長島の特産品を扱ってもらえるように常に交渉することと、長島の方が東京にお越しの際には、ご満足いただくまで東京案内をさせてもらうことはすでに誓っています(笑)

まぁ、実際は僕自身の先々のことなんてたいして決めていません。
今は目の前のことで精一杯です。

ただ、絶対に妥協した作品にだけはしないと誓っています。

僕が生まれた年頃の人たちってミレニアル世代って呼ばれています。とはいえ、ギリギリかすっている程度で、メンタリティが昭和な部分が多分にあります。
新卒当時、意識高い系の同期が「俺は30代で1千万プレイヤーになるから(ドヤ)」って豪語していて、その当時は「おー!すげー!俺もがんばろー」なんて思いましたが、今そんなこと口に出す人もいない時代になってきましたよね。

価値観なんて多岐にわたります。
ミレニアル世代なんてもう古いんです。
世はZ世代です。
お笑いで言えば第7世代です。
女子ゴルフは黄金世代だと言われていたのにすぐさまプラチナ世代が現れました。
青春の代名詞、エヴァンゲリオンだってフィナーレを迎えました。
もう周囲の人たちを見渡すと僕より歳下ばかりです。
だから未来や新しい価値や可能性にバトンを渡す順番がまわってきているんです。

だけどね・・・昭和のメンタリティを舐めんなよとも思います。
もう若くないことなんて重々承知しています。
ただ、Z世代の柔らかい想像力にはかなわなくても、実現するためのガッツや執念は先人から学んできました。
ここだけは譲れない。

だからこのおじさん、長島の子どもたちがいつかどこかで地元の話しをするときに、「あの映画の地元です!」って言えるような作品を残せるように頑張ります!
今でも十分魅力的な長島が、"映画の街"としても魅力を放ち、色んな地域から憧れられるような街にどんどんなったらいいな、なんて願いを込めて作ります。


長文、乱文をここまで読んでいただいた方ありがとうございます。
これでもコンパクトにしようと試みたのですが、これ以上は無理でした。

とにかく全力で頑張ります!
そしてもうしばしの間、長島でお世話になりますので、引き続きよろしくお願いいたします!

いいなと思ったら応援しよう!