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『ちはやふる』文化とスポコンと恋愛、そして終盤の重たさについて

『ちはやふる』が先日完結した。

本作は競技かるたというスポーツの魅力を世に広めた、名作少女マンガである。全50巻ものボリュームで、競技かるたの魅力、スポコン、三角関係など様々な要素が盛り込まれている。

10年ほど前に知ってから、純粋に楽しんだり、感動したり、心を打たれたりしてきた。そして、首を傾げたこともあった。

せっかくなので、読破の余韻が残るうちに思うところを書き留めたい。

競技かるたというジャンルを描く

本作の優れた点として第一にあがるのが、競技かるたという知名度の低かったジャンルに光をあて、その魅力を余すところなく表現したところだろう。

競技かるたは、一見すると暗記力、聴力、反射神経で勝敗が決する競技に見える。しかし、ちはやふるでは多くの対戦を通じ、その勝負の奥深さをこれでもかと描写していく。

ランダムに配られた札を自陣にどうやって配置するのか。
自陣と敵陣の配置をどうやって暗記するのか。
暗記力に勝る相手をどうやって止めるのか。
札をどのような動作で取るべきなのか。
連戦のなかで、過去の試合の記憶が混ざってくることにどう対処するか…

作品を通じ、こうした競技かるたの奥深さに触れることができるのである。特に素晴らしいのは、百人一首への深い理解が、札配置の暗記を助けるという要素だろう。この描写によって、競技かるたが単なる反射神経や記憶力の競争を超えた、文化的な深みを持つ競技として印象付けられる。

競技を通じた人間の成長を描く

本作で何より素晴らしいのは、競技かるたに向き合うことで、高校生たちが人間的に成長していく、その光景だろう。

もちろん競技を通じた人間的成長は、どのスポーツマンガにもみられる普遍的なテーマである。しかし、本作の描写は一段丁寧で、深みのあるものだと感じる。

特に団体戦の描写が素晴らしい。仲間と助け合う、チームの中で役割を果たすということについて、メンバーは試合の中で理解を深めていく。

恋愛描写

本作は少女マンガでもある。主人公の千早はモデル体型のとんでもない美人であり、太一と新という二人の幼馴(イケメン)と三角関係となる。まあ少女漫画とはそういうものだ。

この三角関係の描写については、評価が難しい。まず作中時間の半分ぐらいまで、高2の夏ぐらいまでは恋愛描写はあまり進まない。

新が地方に住んでいること、千早が恋愛に関して関心薄目の「かるたバカ」であることが要因で、あまり動きがないのだ。ただただ、千早が無自覚に新を想っているそのわきで、太一が千早を振り向かせようと、チームをひっぱり千早を支えていくのだ。前半は太一の切ない片思い描写が丁寧に降り積もっていく。

だがそこから、三角関係は進展を見せる。新が千早に好意をつたえると、太一は焦り、告白するも撃沈。ちはやと一緒にいられなくなった太一は、部を離れてしまう。

ここから太一は相手の集中を乱すようなかるたを取ったり、千早たちとの距離が中途半端になったりと、あまり応援したくないキャラになっていく。

同時期に絵柄も変わり、初期のキラキラしていた感じよりも少し見栄えが悪くなったように思えた。アマゾンレビューでも、このあたりは酷評が目立つ。

ちはやふるは恋愛描写に失敗し、作品としての質が落ちてしまったのだろうか?

終盤の重苦しさは宿命

実際、楽しさで言えば、高校2年生の団体戦のあたりがピークに見える。このあたりがスポ根としての純度が最も高く、最もアツいのだ。

高校2年生といえば進路選択からもまだ目を逸らすことが許される時期だし、作品的にも中盤で、三角関係を激しく動かす必要もない。

だから高2の夏までの『ちはやふる』は楽しい。競技かるたの魅力、キャラが、部が成長していく充実感、大会優勝の達成感など、スポコンの快感に満ちている一方で、重苦しい要素からはかなり自由であるためだ。

一方、そこから先は、各登場人物の物語に決着をつけていく必要がでてくる。千早は進路を決めなくてはならないし、三角関係にも決着をつけなくてはいけない。千早の目標である若宮クイーンだって「カルタしかできない自分はどうやって生きていけばいいのか」という問題と向き合わざるを得ないのだ。

つまり、作品の終盤で、序盤から中盤までの快感に満ちた内容を期待する事自体、構造的に難しいのである。なので「終盤になって勢いが落ちた」という批判はあれど、その分は割り引いてみる必要があるだろう。

浅いエンタメ、深いエンタメ

最近思うのだが、エンタメには「浅いエンタメ」と「深いエンタメ」があるように思う。自分の定義は以下のような感じだ。

浅いエンタメ
人間の欲望を満たすような、射幸心をあおるような要素で楽しませるもの
・主人公が無双していて気持ちいい
・主人公が成り上がり、名声を得たことが自分のことのように気持ちいい
・主人公が魅力的な女性に恋愛感情を向けられていてニヤニヤする

深いエンタメ
物事や人間についての深い理解に基づいていたり、丁寧に描写を積み重ねたりすることで表現できるようなエンタメ。
・登場人物が強い想いで行う行動や決断に感動させられる
・人生の普遍的な悩み・課題が扱われ、共感したり影響を受けたりする
・実際の歴史や社会問題についての含蓄があり、唸らされる

現在、スマホをスキマ時間にポチポチするような世の中においては、インスタントに快感を与えるコンテンツに需要がある。だからだろうか、世の中が浅いエンタメに満ちているように思うのである。

スマホゲームは、大量の美少女が自分のものになることや、自分の戦力があっというまにインフレしていくことをアピールしてくる(スマホゲームは避けているので広告からのイメージでしかないが)。

マンガアプリでも、「異世界で痛快な活躍をします」とか「個性的な美少女とつかず離れずの距離感でドギマギしつづけます」といった作品がこれでもかと並んでいる。

このような状態は、商業的に最適化しているとも評価できるのだが、文化としてはとてもチープなものにみえる。それでいいのだろうか。


話を『ちはやふる』に戻そう。やはり、中盤までが楽しさのピークで、終盤は重たく感じる。しかし、高校の3年間を、中盤までのトーンで書ききっていたなら、楽しい作品だったという評価を固めることはできただろうが、ストーリーに深みが出なかったように思う。作品として浅くなっていたのではないだろうか。

登場人物の人間的成長を描き切るのであれば、三角関係はどうしても進めなくてはならなかった。太一が失恋から立ち直るには、その分だけ苦しみ、もがく描写が必要だった。あの重苦しい終盤を描いてこそ到達できる、人間的成長や、群像劇としての厚みというものがあったはずだ。

もちろん、終盤が完璧だったとは思わない。キャラがブレていると感じたり、展開に納得のいかない部分もあった。それでも、キャラクターと一緒に苦しみながら、しっかりと重たい部分まで描き切ろうとしたことを、積極的に評価したいと思うのだった。

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