マンガに見る努力ー成長モデルの変遷とベイビーステップ

努力が下手だった

中学高校と柔道をやっていたが、大して強くはならなかった。顧問がほとんど指導をしなかったというのもあるが、最大の理由は練習をするときに頭を使っていなかったからだろう。

柔道の技には一つ一つ理論が存在する。小技で相手の体重移動をコントロールしたり、相手を自分の方に引きつけ、身体の接触部分を支点にして相手を回転させたりといった具合だ。自分はそれら理論を抑えることに無関心なまま、見よう見まねの反復練習を繰り返して汗を流すことに満足していた。

例えば内股という技は、片足を跳ね上げる動作が印象的だが、あの片足をあげる動作の意味をちゃんと理解しないといけない。自分はそれを理解しないままに内股の動作を真似るものだから、跳ね上げた足が全く機能せず、単なる金的になっていた。部員たちからは「肉股」と呼ばれ恐れられたものだ。

部活にはいい思い出も多いのだが、やはり今振り返ると、もっと考えながら取り組めば良かったと思ってしまう。

努力下手の一因はマンガにあり?

暴論を承知で、自分が努力下手だった理由の一部をマンガに求めてみたい。自分はドラゴンボール世代だが、当時の少年マンガは努力と成長の描き方に偏りがあったように思うのだ。

主人公たちは、敵やライバルに勝つために練習・修行・特訓を行ったはずだが、それらはどう描写されていただろうか。思い出すかぎり、主人公が行う努力については「猛特訓」という描写に偏りがちだったように思うのだ。疲労や苦痛に耐え忍びつつ反復練習を続けることが「努力」だった。

そして、努力の結果として、主人公は「エネルギー量の絶対量が大きい」「スピードが速くなっている」といった「成長」を遂げる。しかも、地道な努力よりも重要な成長をもたらすのは「覚醒」だったりする。サイヤ人は瀕死から蘇ることで、ナメック人は融合することで飛躍的に強くなるし、敵に対して「キレる」ことで強くなることもあるのだ。

「努力はつらいけど根性で継続する。そうするとなんか全体的に成長する。でも覚醒のほうが大事」というレベルの「努力ー成長モデル」を繰り返し読むことで、大なり小なり努力に関する考え方に影響を受けていたのかもしれない。

そもそも、努力というのはそれ自体が「善いもの」とみなされがちである。努力をしていれば、親も教師もその質を問わず肯定してくれたように思う。しかし実際には、努力にだって効率や方向性の正しさは存在するし、非効率な努力からいつ抜け出せるかというのは重要なポイントなのだと思う。

努力ー成長モデルの進歩

最近のマンガを読んでいると、「成長」に関する理解の深さに驚かされることがある。『ちはやふる』は心技体の成長を見事に描写しているし、『三月のライオン』は主人公の内面がゆっくりゆっくり成長していく様子を丹念に描いている。

同一の作者で比較してみよう。冨樫義博の『幽遊白書』は、魔界トーナメント編では各キャラに個性はあったものの、霊力や妖力のサイズ≒実力という描写だったように思う。しかし、仙水編では霊力のサイズが関係しない能力バトルも展開されるようになる。そしてハンターハンターでは念能力という設定を持ち出すことで、念の絶対量に加え「自分の個性に合わせてどのような念能力を構築するか」という戦略性の部分もクローズアップされる。何より、ビスケによるゴンとキルアへの指導は、ハードなだけでなく、念の熟練者になるための体系だてられたものだった。

マンガにおける「努力ー成長モデル」は時代を追ってアップデートされているように思うのだ(※)。

ベイビーステップはすごい

努力と成長の描写において、テニス漫画のベイビーステップは異次元のクオリティを誇っている。素人だった主人公がトップクラスに成長していくまでのストーリーなのだが、適切なトレーニングを経てテニスの競技力が向上していく描写が極めて具体的で説得力に満ちているのだ。

テニスは相手との駆け引きも重要で、思考力も問われる。しかし、考えすぎると今度は身体の動きがギクシャクしていく。そのため、試合中のメンタルのコントロールも重要になってくるのだが、その部分の成長もメンタルコーチを登場させて本格的に描写している。

ベイビーステップはある競技の初心者がプロレベルのアスリートにまで成長するために必要な努力のプロセスを教えてくれる、稀有なスポーツマンガといえるだろう。中学生あたりで出会うことができれば、努力ー成長モデルを適切にアップデートでき、物事への取り組み方が変わっていくんじゃないだろうか。

息子が10歳になったあたりから、自宅の目につくところにベイビーステップを置いておくのもいいかもしれない。きっといつかどこかで壁を破る助けになってくれるだろうし、なっちゃんが可愛いのだ。

本音が出てしまったところで、今回はここまで。



※ 「加齢とともに読む作品の傾向が変わっただけで、成長描写の素晴らしい作品は以前からあったのでは」という指摘もできるだろうが、マクロな傾向としてはあるんじゃないかなぁ

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