『ザ・ファブル』:普通を獲得する殺し屋の話
タイトル、絵柄、ジャンルからすると、自分が手を伸ばさない作品だった。しかし世間の評価がとても高いことが気になり、第一部を通読した。
確かにとてもいい作品で、高評価がうなずけた。少しメモをしておきたい。
概要
主人公は「ファブル」と呼ばれる殺し屋である(※1)。武術、射撃、警戒心、カンの良さなどすべてが超一流であり、多くの殺しをこなしておきながら正体不明を保っている。
そんな彼が次に命じられたのは、あるヤクザのもとで保護されながら、何事もなく1年間暮らすことだった。彼は佐藤アキラを名乗り、妹役(佐藤ヨウコと名乗る)とともに、何事もない暮らしを実践しようとする。
そうは言っても、彼は天才的な殺し屋だし、かくまってくれているのもヤクザである。彼はちょくちょく、荒事に巻き込まれていくことになる…
殺さない殺し屋
本作は実写映画化されており、その際には「殺さない殺し屋」という副題がつけられている。実際、アキラは荒事に直面しても、殺しを行わずに切り抜けて見せるのだ。
この副題からは、「るろうに剣心」的なイメージが湧くかもしれない。殺しを降りた優しい主人公による、勧善懲悪のバトルもののイメージである。
しかし、自分にとっては、バトルシーンはむしろオマケだった。バトルシーンの頻度自体もあまり高くないし、何しろアキラが強すぎてすぐに終わってしまうのだ。さらにいうと、個人的にはバトル描写が少しわかりづらくもあった。バトルシーンで盛り上がるマンガ、という解釈は本作にふさわしくないだろう。
アキラにとっての”普通”
本作が面白いのは、「ごく普通の社会生活を送る」というミッションの方である。アキラは物心つく前から殺し屋としての訓練を受けてきたため、”普通”をぎこちなく行っていくのだ。
小規模な会社に雇われ、ズレたところを面白がってもらいながら職場になじんでいく。身近な人に必要とされる喜びを感じ、ヘタクソな似顔絵を徹夜で書き上げる。職場の人々と心を通わせ、そこに居心地の良さを感じる。
アキラがそうやって普通を獲得していく光景にこそ、本作の良さがあると感じた。
ラストバトルで問われたこと
第一部のラストでは、とてもやっかいな殺し屋が相手になり、アキラの周囲も巻き込まれる。読者としては「その殺し屋に勝てるか」とか「周りを巻き込まずに切り抜けられるか」ということを素朴に心配し、ドキドキしながら読むことになる。
しかし、決着はやっぱりあっさりしていて、アキラが強すぎたなぁという感想が残った。
ただ、最後まで読んで反芻してみると、アキラはある意味ではピンチに追い込まれていたのだと理解できた。アキラが相手を制圧し、銃口を向けていたときこそ、アキラのピンチだった。
本作のテーマは「アキラが殺し屋を抜け、普通を手に入れられるか」である。ここでアキラが引き金を引いていたら、アキラは”普通”からまた大きく遠ざかってしまっただろう。そして、アキラが普通に戻れていないと判断されれば、組織に処分されてもおかしくなかったのだ。
結果として、アキラはすぐに引き金を引くことができなかった。それは殺し屋としては劣化だったのかもしれない。しかし、彼を引き留めたのは、作品を通じて獲得したものだったのだ。
普通を目指す日々で育まれた、凡庸な価値観、素朴な人間関係。それがアキラの行動を変え、アキラを救った。そう考えると、終章は味わい深いものだった。
結末
「普通」期間を経て、アキラのボスは、アキラを自由にすることを決める。ただし、先の人生で人助けをしていくことが課せられる。これもいい落としどころだった。アキラ自身はいい人間で、この1年は殺しを行っていない。それでも、彼は過去に大量の人間を殺めているという事実があるのだ。だからただ解放されるのではなく、人助けを宿命づけられるというのは、納得感のある落としどころだった(※2)。
※1 実際にはファブルというのは組織の名前であり、アキラはその最高傑作という位置づけになっている。『ザ・ファブル』という定冠詞つきのタイトルは、そのことを表している気がする。
※2 アキラがどのような人助けをおこなっているのか。第2部の1話だけは無料なので読んでみたのだが、レンタルおじさんになっておりメチャクチャ笑ってしまった。