読書メモ:「若者の読書離れ」というウソ
Twitterで話題になっていた書籍。
読書離れは事実か
「若者が読書離れをしており問題だ」という風潮は根強い。そこに実際のデータを用いて切り込んだことが本書の第一の特徴となっている。
データを見ると小中学生は朝読書の導入で増えているし、高校生の不読率は2割ほど改善されている。大学生の不読率は上がっているが、これは大学進学率の向上によって読書しないタイプの進学者が増えたことと関係しているだろう。
ということで、近年、若者の読書離れが深刻であるというような言説は根拠のない妄想であると結論づけている。エビデンスベースで別に減っていないという議論自体、読む価値のあるものだった。
読書傾向は遺伝で決まる?
そうはいっても、高校生以上の不読率は50%程度である。二人に一人は全く本を読まないという状況は嘆かわしいものに見える。しかし、この数値は大人の不読率とほぼ差がないものである。高校生にもなれば自分の生活スタイルに読書をどう位置づけられるかも決まっているというだけのことなのではないか。
そして、高校生、大学生、大人の半数が不読となっている点について、
・ディスレクシアなどのそもそも読めない層が存在すること
・読書よりも会話や動画のほうが情報を得やすく学習効果が高いという認知特性を持つ人もいる
という指摘が行われる。これは著者の息子が発達障害を持っていることから改めての気づきにも裏打ちされており、傾聴に値する意見だろう。
向き不向きの次元から読書を選ばない人が少なくない割合で存在する。このような前提を抑えつつ、読書の普及を考えなくてはならないだろう。
さて、ここから著者は、行動遺伝学で有名な安藤教授の論文を引用して考察を進める。
そこから「十分に脳が発達し、また、強制的な教育政策の影響が少なくなるハイティーン以上の読書量は、環境よりも遺伝で決まる部分が大きい」という前提を組み、議論を進めるのである。
確かに該当の論文にはその記述はある。ただし、これは結果の項からの引用となっている。自分も論文を読んでみたが、行動遺伝学というのは解釈がとても難しい分野だと感じた。そのような分野のデータを直接ひっぱり、考察を自らの手で行うのは中々怖いことである。
重要なのは引用元の論文を書いた安藤教授自身が、このデータをどう考察しているのかである。第一に指摘すべきは、安藤教授自身がこの研究のデータセット自体が不十分であると言及していることだろう。
その上で、データの解釈について、考察の終盤で補足をしている。
ここまで考察を読んでみると、「遺伝的」「共有環境」「非共有環境」というそれぞれの用語のニュアンスを正確に汲み、切り分けて論じるには専門性が必要だなぁと思う。自分も安藤教授の本は1冊読んでいたが、色々誤解をしていたこともわかった。
にもかかわらず、本書の内容や、それをざっくり紹介したツイートの影響から、「結局遺伝なので親が読書を促そうとするのが無駄だとわかった」といった感想が生じているのも目にした(冒頭のtogetter)。良くない方向に話が独り歩きしていないだろうか。
ということで、「読書傾向には遺伝の影響が強い」というフレーズが強すぎて、そこだけ残ってしまうことを危惧している。
中高生は実際、何を読んでいるのか
遺伝の話への言及が長くなったが、本書で多くのページ数が割かれているのは「中高生が実際に読んでいる書籍にどのような傾向があるか」を分析し、確認していくパートである。著者は以下のようにまとめる。
なるほど、書籍が読者のニーズに合わせて作られるというのは確かにおっしゃる通りである。だが、ちょっとシラけた気持ちにもなる。ニーズに合わせて計算づくで書くことは商業上重要なのだが…。
ここは中高生がよく読む書籍が上記の形式に合致していることの確認に記述の多くが割かれたため、かなり単調で飛ばし気味に読んでしまった。
夢をかなえるゾウシリーズへの言及は??
『夢をかなえるゾウ』シリーズについても説明があるのだが、2作目以降の紹介の仕方には違和感があった。2巻以降、1巻で書いた内容への補足などを繰り広げているという読み方をしているのだが、自分からすると別建てのテーマを明確に立てながら深めているということになっている。
著者が見出したパターンやフォーマットに夢を叶えるゾウも当てはまっているのだ、と結論付けたいがために、仮説に合致している部分を探すような読み方をしていないだろうか。
まあこれは、自分も夢を叶えるゾウシリーズの2巻目以降を読み返さないと確認がとれず、あまり強くいえないのだが。
総評:若者の読書傾向をデータに基づいて知るにはいい本。遺伝への言及については、学べる部分もあるが、遺伝か環境かという解釈については結論を急がない方が良さそうだ。