映画雑感まとめ①

夜の20時~26時は、自分が乳児の面倒を見ることになっている。その時間帯に何か生産的なことはできないか、いろいろ検討した結果、映画鑑賞に落ち着いた。読書やポッドキャストほどの集中力を割かずとも、情報を吸収できるのが大きいのだろう。

映画音痴の自分ではあるが、古典的名作を複数観る機会となった。
ここ数ヶ月で観た映画について、短く雑感を書いていきたい。

チャーリーとチョコレート工場

なかなか楽しかった。ウィリーウォンカのイカレっぷり、工場の非現実感、生意気な子どもたちに訪れる悲劇。目が離せなくて最後まで見てしまった。リスのくだりは最高だったな。

主人公以外の子どもは4人ともわがままで、性格が悪い。それぞれが言動をとがめられ、死ぬんじゃないかという恐怖体験を味わうことになる。その様子はスリリングだし、グロテスクでもあった。

終盤にそれぞれが工場から出ていくシーンがあるので多少のエクスキューズとはなっているが、失態への因果応報を超えているし、ましてや相手は子どもだ。その意味では少し見ていて落ち着かない思いはあった。子どもがみたらトラウマになるんじゃないか。

もう一つ、主人公は純粋ないい子として描写されるが、実のところチョコレートへの狂気を秘めている人物としても描写されていたように思える。

ソイレント・グリーン

1973年の映画。50年後の未来は人口爆発で食糧不足が起こっており、ソイレントグリーンという食品で危機を賄っている。しかしそれが実は人肉で…という話。その50年後というのが2022年なわけで、視聴のタイミングとして面白かった。

ディストピアにおける人間描写などが楽しく、示唆的な作品。安楽死の描写は芸術的だった。ただし、現実には人口は伸び続けている一方で、映画ほどには食糧不足は起こっていない。また、単純に物語としてはテンポも悪く、あまり面白くなかった。

シン・ウルトラマン

庵野によるウルトラマン。画期的だったシンゴジラに引き続き、何か見せつけるのか?と思ったが、あれほどのスピード感はなかった。ほとんど原作を知っている人向けのオマージュに終始していたらしい。

自分の目線でいうと、行政組織のリアリティ、半端に科学っぽい肉付けなどはちょっと面白い。そして、庵野らしく凝った構図、見せたい絵などがあったのは面白かった。

シンゴジラと比較してもの足りなく思うのは、脅威の性質が違うからかな。シンゴジラはもう、震災と原発の化身だった。そしてそれは初代ゴジラの志を正当に引き継いだものとも言えた。その点、シンウルトラマンのほうは視聴者の問題意識に接続するようなポイントが薄かったように思えた。

上位存在に危なっかしいと判断され、管理されるべきだとみなされる人類。
一方でウルトラマンは人間を愛し、その可能性を信じてくれる。(上位存在に現代社会の解決策をネタバラシしてもらいたい気持ち、ちょっとある。)

漁港の肉子ちゃん

発達障害気味だけどポジティブ・天真爛漫で母親を務める肉子ちゃんと、その娘の利発で見た目もいいキクコ。肉子ちゃんはダメな男に入れ挙げては騙され、借金を返すために夜の街で働き、引っ越しを繰り返し、今は漁港で肉屋として働いている。キクコは新しい環境でやっていこうとしつつ、小学校の気の重たい人間関係を乗り切ったり。

やがてキクコの出自が明かされ、肉子とキクコが本音で語り合う。そんな場面が良かった。

言ってしまえば地味な人情ドラマではあるのだが、相対的貧困だとか、貧しさのループにハマった女性の生き様とか、子どもでいさせてもらえない子どもという現代的な問題が織り込まれている。そして、そんな問題を抱えた人たちが地味な漁村で受け入れられ、見守れているのは素晴らしく心温まるものだった。

少し西原理恵子の『ぼくんち』も思い出されたが、あれは貧困な漁村のどうしようもなさをもっと突き放して書いていた。まあサイバラは脚色・誇張・捏造なんでもアリで、あれが貧しい漁村をどの程度写実的に描いているのかは気になるところなのだが。

肉子とキクコの境遇を考えた時に、彼女たちが幸せを手に入れられているのはひょっとしたら奇跡かもしれない。だが、心を開き、身を寄せ合って生きるということに絞れば、その条件の達成は貧困であっても可能なものだ。
穏やかに自己肯定に至る人間ドラマ。良かった。

※エンドロールをボケーっと眺めてたら

セミ:宮迫博之

に不意打ちを食らってしまった。

ニュー・シネマ・パラダイス

すっごい名作だった。この視聴をきっかけに、近年の話題作ではなく名作映画を観ていくべきだと確信したほど。

ポイントはトトとアルフレードの関係をどう解釈するかだ。基本的には「年の離れた友人」とみて間違いないんだけど、途中からアルフレードがトトの人生に介入し始める。しがない映像技師を目指すのではなく、島を出て成功を収めるよう誘導するのだ。

その助言に従う形でトトはシチリア島を離れ、映画監督として大成する。一方でトトは愛をしらない人間になってしまった。

ラストシーン、アルフレードが遺したフィルムでトトは愛を取り戻す。初見ではこのシーンを「友人であるアルフレードが、トトの欠落を埋めてくれた」と解釈して感動に浸った。

だが、どうやら完全版では、アルフレードがトトの恋路を邪魔していたことが描写されるようだ。完全版を観ていないのでなんとも言えないが、まずは何か裏切られたような気持ちになったし、知りたくなかったなと思ってしまった。

トトがエレナと結ばれてしまうと、トトが島から出れなくなってしまう。だから恋愛が成就しないように妨害したのだろう。アルフレードの人生経験からすると、それが本当にトトのためだと確信してやったことなんだろうな。

それはアルフレードの親心のようなものかもしれないが、毒親のようなもので、極めて一方的だ。

それでも、やっぱりこの映画を肯定したい。トトが島に残るルートで本当に幸せになれたのかは疑問符がある。それに、最期にあのフィルムを遺せたことで、ある程度は罪滅ぼしができたんじゃないかな。

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