早起きした日

おはようございます。
用事もないのにこの時間に起きるのは久しぶりです。
介護士の時は一番早い早番のために4時半に起きて5時半には出勤し、6時半には働き始めてました。
(だから5時や6時起きでしんどいという人の気持ちが当時は分からなかった…。嫌味にすら感じてました。ごめんなさい。)

昨日2週間ぶりにリワークに行きました。
風邪をひき、姉とトラブルになった2月後半。リワークに行く心の余裕はなくなり、2週間休みました。もうこのまま行かなくていいかなと思ったけれど、やっぱり社会復帰はしたい。水曜日は作業系で私にとってハードルが低い日だからとりあえず行ってみよう無理になったら帰ろうと思い、昨日2週間ぶりに行き、初めて1日リワークプログラムに参加しました。午前は作業系、午後は参加者で散歩に行き、この年にして年上の男性陣に紛れてボールやフリスビーで遊んだり、みんなでダーツをしたりしました。一見遊んでいるようにしか見えませんが、人と交流するというのもなかなか肉体的にも精神的にもエネルギーのいることで昨日はもう帰りの会をしている時に力尽きてました。片頭痛が起きたのは何よりの証拠。私の体の限界値は超えてました。気力でごはんを食べて、薬の飲んで22時くらいには寝てました。本当ならもっと早く寝たかったけれど、片頭痛が起きている時は頭痛が激しすぎて眠いのに寝れないことが度々あります。片頭痛が起きている時はやっぱりまだ行かない方がよかったのではないか。友達の誘いに乗ってのんびりおでかけして過ごした方がよかったのではないかと思いました。でも今こうして振り返ると行ってよかったと思います。リワーク自体は今の私にとって必要な1つの場所。あの場には自分を傷つけてくる敵はいません。安心できる材料は多いです。一番はリワークを担当している女性の方が私と相性が合っていることが大きいです。まだ関係を持ち始めたばかりなのによく私のことを見てくれています。昨日話したのは最近自分の中に芽生えた介護士という仕事にやりがいを感じていること、日勤のみの働き方でもっとひとりひとりに寄り添ってやってみたいと思っていることを伝えました。そしたらいいじゃん!あなたは人にエネルギーを与えられるし、人からエネルギーをもらって輝いている時もある。このまちにもいい介護をしているところあるよ、またそのタイミングが来たら紹介するね、今度は施設施設してないところでやってみたらいいじゃない、これからは若い人の力が必要よと言ってくれました。トラウマになった入居者からのセクハラ事件、PTSD発覚してからはもう2度と介護士にはならない。普通の働き方をして、将来は平和に過ごしたいと思っていました。そんな自分が少し違う考えを持つようになった。世の中には介護士よりいい仕事、わりに合った仕事、楽な仕事がたくさんあると思う。介護士はやりがいは感じられるけれど、それに見合った対価、給料がもらえないと思う。これは保育士さんも同等だと思う。日本は福祉に関わる仕事の大変さと給料が本当に見合っていないと思う。でも、介護士をしていた時の楽しかったこと、私がやるレクを楽しみにしてくれた人、私がいるだけで安心した顔をしてくれる人、名前を覚えるのが苦手と言いながら間違えながらでも私の名前を一生懸命覚えてくれた人がいたんだ。それが約1年半という時間で成り立ったのは、目には見えないが大きな私の、私だけの役目だったと思う。今なら心の叫びとして前の会社にいえる。私を失った対価は大きいこと。今もし前の会社の上司3人(トラウマ事件が起きた時の敵)に会うことがあって言うなら「今現場人材不足で大変みたいですね。私が退職するまで追い込んで、明らかに体調不良だったのに放置して結果的にやめることになって損しましたね。残念ですね」と言いたい。もう会いたくもないからここで書いて言ったことにしたいと思う。

次もしまた介護士になるなら前の会社であったトラウマの面は置いて、新しい環境に行きたい。新しい職場になるところは前の会社でのことは関係ないからだ。1年以上トラウマの記憶を消したくて消したくてどうしょうもなかったが、結局動物の本能的に嫌なことから避けるために、嫌な記憶は消せないと身をもって分かった。危険回避行動がもう体に染みついているのだ。こう考えれるようになったのも、人にやっぱり介護士のやりがいを忘れられないといえるようになったのも大きな前進だと思う。気づけば3月。4月には新しい環境で再就職をなんて退職した時には思っていたがまだまだ時間はかかりそうだ。とりあえず一歩進んだり、下がったりしてもどうにかこの世で抗っていこうと思った。生きてさえすれば人生大逆転のチャンスが来るかもしれないから。

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