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『ママと娼婦』を見た

ずっと見たかったのに4時間半の長尺で見るのを躊躇し続けていたが、朝起きて体調がすこぶる良く、衝動的にチケットを買ってヒュートラ渋谷まで見に行った。俺はおしっこがとてもよく出る体質なのにコーヒーが大好きで我慢できず、一杯でもコーヒーを飲むと1時間で5回は排尿することになる。ただ、今朝はコーヒーを我慢し、極力水分も摂らず、上映前におしっこを出し尽くして挑んだ。

そんな『ママと娼婦』は俺のそんな気も知れず、二股するクズのジャン=ピエール・レオが言い訳みたいに延々と管を巻く4時間半。恐らくユスターシュは嫌がらせのために、観客の体力を削るためにわざと時間を引き延ばす。この長い時間の使い方はこないだ見たロジエとはまた違い、ロジエは長い時間の中で輝く瞬間を誘き寄せた。ユスターシュはそんな光を捉える気などなく、ただカスとヤリマンとおばさんの関係のゆっくりした変化を追う。画面に躍動感もなく、横臥で始まり横臥と共にあるような映画だからカメラが動くことも拒否。ひたすら役者の台詞、つまりユスターシュの言葉に耳を傾けることを強制する。喋るジャン=ピエール・レオを背中から映し、適度な距離を保ったまま、フランス語のリズムに口の粘り気や吐息もよく聴こえる。この集中することを強いられた静の画面は、微細な動き、微妙な変化を知覚することが可能になる。終盤にかけて喋らなくなるレオ、連携する娼婦とママ、揺れ動く煙草の煙。そしてラストに長回しで正面から映された娼婦の、静かに流れる涙を捉える。この涙こそ、4時間半かけて研ぎ澄まされた感覚を解放するものであり、美しい涙ではないが、美しい涙ではないからこそ、ユスターシュはフィルムを通してこのヤリマンの目から流れる水分に賭けてた気がする。時間をかけて観客を疲弊させて、そうでもしないと救われない魂もある。おしっこ我慢して良かった。

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