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しんどい時の弱虫ペダル

(サムネイルは、らくがきした新開さんと泉田くんです)

最近、心が疲れるとネトフリで弱虫ペダルを一気に見進める、ということをしている。

私が最初に弱虫ペダルにハマったのは中3で、弱虫ペダルがめーーーちゃめちゃ流行ってた時だ。御堂筋くんが好き過ぎてDEROSAを買った友達の影響だった。
泉田くんが大好きで、高1の時は新開さんと泉田くんの団扇が欲しくてローソンを渡り歩いたのをよく覚えている。

それがいつだが、バンギャ業に本腰を入れ始めたことで労力がそちらに割かれていき、少しずつ離れていってしまった。
知らぬうちに5期までやっているというので驚いた。漫画で葦木場くんが出てくる辺りまでは読んでいたので、その先を観たくて再履修を含め一気に見始めたのだ。

アニメや漫画は元々好きだし、なんなら鬼滅の悲鳴嶼行冥のガチ恋もやっている。
それが何故今更弱虫ペダルか、というと多分理由は大きく3つある。

1つ目は、元々弱虫ペダルが好きだったから。

疲れてる時にアニメや漫画を新しく履修しようとすると、キャラの名前や世界観などを頭に入れていかなきゃいけないので、エネルギーを半端なく消費する。
ただでさえ脳が終わっている時に観ることが前提なので、疲れを癒す為なのに寧ろ疲れてしまうこともある。
その点、弱虫ペダルは最初から知っているキャラクターたちが成長し、後輩が入り…という形なのでそこまでエネルギーを使わない。
ロードレースというテーマから大きく逸脱することもないので、世界観が変わって混乱とかもない。
歳をとると新しいものに触れなくなる、というアレだとも思うが、知らないキャラも追加されていくのでそこそこ新鮮にも感じられる。勝ち負けもギリギリまでわからないので、ちゃんとドキドキ感もあり楽しく観られるのだ。


2つ目は、人が死なないから。

最近流行っている作品は人がバンバン死んでいくのが多い。面白くてどんどん見進めたりすると、誰かしら死んでいく気がする。
そして私が好きなキャラ、大体死ぬ。私の心、死ぬ。
好きだし展開がわかっている作品でさえ、人が苦しみ死んでいくのを観ると、精神が終わってる時は追い打ちをかけるようなかたちになってしまう。
追い打ちをかけてくるほど心に訴えかけてくる作品は素晴らしいが、回復したい時には向かない。
なら日常系作品を観ればいいじゃない、とオタクたちは言うが、限界過ぎると日常系のほんわかのんびりさ加減が何だか羨ましくなってきてちょっと落ち込む。ワガママなオタクでごめんね、オタクたち。
しかし、弱虫ペダルはスポーツ作品なので、勝敗こそあるものの、基本的には死なない。
闘いに負けてもちゃんと前を向いて成長し、生き抜いてくれる。
死にたくなった時に彼らの姿を見ると、生きるモードにしてくれる。
そして程よく現実味がない。そもそもロードレースの経験がないのでそこも別世界のこととして捉えられるし、脱皮する人や膨らむ人など、そこそこファンタジーな人もいる。なので、限界すぎても羨ましくはならないので落ち込むことがない。
この絶妙な匙加減に限界精神人間は救われている。

3つ目、とにかく前を向いてくれるから。

自転車に乗る彼らは前を向いて走る。ゴールに向かってひたむきに走る。そのゴールにおいて何を重要視しているかは人によって違うが、とにかく前を向いてペダルを回す。
その姿に救われるのだ。
チームの為。栄光の為。勝利の為。
どの目的も共感できて、どの人にも勝って欲しい。
私は泉田くんが好きで、彼の信条や目標、憧れ、心情などを思い泣いていまうタイプのオタクなので箱学に肩入れしてしまいがちだが、それでもどのチームにも勝って欲しいと思ってしまう。
それだけ、キャラクター1人1人が歩んできた道のりや心情を描いている作品だと思う。
だから、前を向いて走る彼らの姿に救われる。
レースでは報われなかった努力も、成長など何らかの形で報われる。
私もこの努力が何か先の方で報われるのかもしれないと、そう思わせてくれるのだ。


今、4期の始めまで見進めた弱虫ペダル。それだけ心が疲れることが多すぎるのか、とも思うが、それだけ救ってきてくれてるんだな、とも思う。
自転車には上手く乗れないけど、取り敢えず私も前を向いて進むか!という気持ちにさせてくれるこの作品に感謝してます。

あと、弱虫ペダルを観ると心の中に御堂筋くんを住まわせられます。
何か嫌なことを言われても「ハァ?何言うとるん?」と一蹴してくれるので、それも助かってます。

ありがとう!弱虫ペダル!

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