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おかえりなさい、神様

2023年6月7日。Sadieの活動再開の報せに、私は自宅の階段で奇声を上げた後、蹲っていた。

8年だ。

8年間待ち続けたバンドが帰ってくる。
震えながら携帯を握りしめ、ちょっとだけ泣いた。


私がSadieに出会ったのは中学3年生の頃だった。
たまたまYouTubeで見かけた、Ice RomancerのPVがきっかけだったと思う。
強い低音、迫力もあるけど繊細なベースラインに惹かれ、その切なくも苦しい音楽に心打たれた。
夢中になってSadieの音楽をいくつも聴いた。PVを見た。CDを買い漁った。
その度にベースのフレーズを嚙み締めて聴いた。
何て美しいベースなんだろう。
そのうち、どんな人たちなのか気になっていくつも雑誌を漁っていた。
V系らしい、華やかかつ個性の際立ったアーティスト写真に心が躍った。
その芸術性の高さに触発され、何枚も絵を描いた。
その絵が学校内で賞を獲ったりした。
絵を描くために写真を眺めていると、その孤高ともいえる亜季さんの美しさに心を鷲掴みにされた。
ベースだけでなく本人も美しいのか、なんて思った。

そして亜季さんという人間が、私にとって神様のような存在になった。
Sadieというバンドが、かけがえのない存在になった。

初めて行ったSadieのライブは、とにかく激しくて身体中が痛くなった。
ステージ前方に立って、客席を眺める亜季さんの神々しさに息が詰まるような感覚を覚えた。


無期限活動休止の報せを受けたのは、高校2年生の時だった。
10周年の大阪のライブ、行きたかったなーなんて思っていた時だった。

あの時の感情を思い返しても、なんで?という現実感のなさしか思い出せない。
さぞかしファンの人たちは悲しんだであろう、なんて他人事のように感じる己もいながら、現実感のない空虚な気持ちになっていた。
他のファンみたいにたくさんライブに行けていたわけでもない、歴だってそんなに長くない。
だから、こんなうっすらとした空虚さだけしか浮かばないのかと少し悲しく思う自分もいた。

活動休止のライブは、修学旅行の前々日だった。
他のバンドのライブでも何度か訪れていたZepp Tokyo。今までにないくらい人で溢れかえっていた。
当然だ。Sadieが活動休止するのだ。あのSadieが。
V系バンドの無期限活動休止が何を意味するか。ゆるくてもバンギャだ。それくらいわかる。
ただ、Voyageという言葉に縋るしかなかった。
旅に出るのだ、旅なのだと言い聞かせていた。
もうライブの内容も思い出せないくらい、たくさん泣いてたくさん暴れた。
空虚な心を沈めるように涙が溢れて止まらなかった。
亜季さんが「必ずここに戻ってくる」と言っていた。
信じたい気持ちと、今まで見てきた例から湧き出る諦観とが隣合せだった。

修学旅行の沖縄で、砂浜に「Sadie早く帰ってきて」と指先で書いたのを覚えている。あれは思春期特有の痛々しいムーブではあったが、一種の祈りだった。


それからの間。
亜季さんがサポートやセッションで出たライブに行った。
SadieじゃないSadieのメンバーのバンドは、我儘で頑固な私には刺さらなかった。
MORRIGANという青春ともいえるバンドとの出会いと別れがあった。
好きなV系バンドは皆観られなくなってしまった。
高校を卒業して大学生になり、当たり前のように就職した。
激務によって身体を壊したりした。
約束の場所だったZepp Tokyoがなくなった。
身体の不調が心まで浸食していった。
死のうと思うことが増えていった。
何となく、諦めかけていた。

復活、という言葉は私にとってあまりにも重かった。
諦めかけた、折れた心に平手打ちを食らったようだった。
蹲って暗くなった視界の中を、色々な感情が駆け巡った。

約束、守ってくれた。
旅から帰ってくるんだ。
死ななくてよかった。
死んじゃ駄目だ。
Sadieがまた観られるんだ。
Sadieを弾く亜季さんが観られるんだ。
生きなきゃ。

空虚だった心がようやく、少しずつ満たされていく感覚が確かにあった。2024年3月17日。その日までは是が非でも生き延びようと決めた。


その日を迎える前に、Sadieがセルフカバーアルバムを出すという。
大好きなバンドの新譜が出る。
久々の胸の高鳴りだった。
インストアイベントもやるんだって。
当時は恐れ多くて行けなかったけど、会える時に会っておかなきゃ。と思える自分の心境の変化に、少し驚いたり。
Sadieほどのバンドならすぐ参加券もなくなっちゃうかな、と心配して苦手な電話でCDを予約したり。
ひとつひとつ、Sadieにまつわる行動や思考ができることに喜びを感じていた。

発売日。当時はCDを買ってようやく聴いていたのに、今はサブスクで簡単に聴けるなあなんて思いつつ、ドキドキしながらアルバムを聴いた。

かっこいい。
初めてSadieを聴いた時の衝撃がそのまま私を飲み込んだ。
ソリッドになった楽曲たち。
手数の増えたドラム、豊かになったボーカルの表現力、さらに心打つフレーズの増えたギター。
大好きな楽曲たちは確かに進化していた。

その中で、ベースはフレーズもほぼそのままに、そこにいた。
大好きなベースのまま、そこにいた。
進化したSadieのかっこよさを、不変のベースがしっかりと支えている。
それがあまりにも嬉しくてかっこよくて、胸がいっぱいになる。

ああ、やっぱり亜季さんは神様なのかもしれないな、なんて思った。


待ち焦がれていた割に、目紛しい日々の流れによって、その日はあっさりと訪れた。
物販何買おうかな、先行物販間に合うかな、なんてドキドキしながら会場に向かう感覚も愛おしく感じる。

会場に着くと、先行物販の時点で多くの人が並んでいた。
ここにいる人はみんなSadieが好きで、きっと私と同じようにこの日を待ちわびていたんだろうと思うと、長い長い列に並ぶことも全く苦ではなかった。
普段周りにSadieが好きな人なんていないのに、みんなどこに隠れていたんだろう、なんてありきたりなことを考えながら、背中にメンバーの名前が入ったTシャツに着替える。
メンバーの名前を背負う。亜季さんの名前を背負う。なんか気恥ずかしいけど、不思議と気合いが入った。

開場が近づくと、たくさんの人で豊洲PITの敷地が埋め尽くされ、溢れている。
多くの人がSadieの名の入ったTシャツを着て、チケットを握りしめながらその時を待っている。
中には見知ったバンドマンもいる。
ここにいる全員がSadieの復活を観に来ている。
何故か私が嬉しくなった。

会場に入ると、クラシックが流れていた。モニターにはアルバムのジャケットと「THE REVIVAL OF SADNESS」の文字。
荘厳な雰囲気に少々気圧されつつ、開演を待つ。
眼前の亜季さんのマイクスタンドやアンプを眺めながら、そこに立つ亜季さんの姿を想像する。
8年間、時に諦めそうになりながら、脳に焼き付けたその姿を。

客電が落ちた。


待ち焦がれたその瞬間はあっという間で、変わらずにそこにあった。
脳に焼き付いた楽曲も、唸るような客席の叫びも、あの頃のままだ。
迷彩から始まったその瞬間は、とてもスローに見えた。
それからは、ただ亜季さんの姿を網膜に、ベースの音を鼓膜に焼き付けようと、必死になってステージを観ていた。
だけどどうしても身体は勝手に動いていて。
気づけば頭を振り乱していたし、拳を突き上げていた。こればっかりはもう習性のようなものだから仕方ないのかな、なんて少し思った。
楽しくて、嬉しくて、涙も汗をぐちゃぐちゃで、もう何が何だかわからないし、酷い顔をしていたかもしれない。
でも本当に、楽しくて。
ここに帰ってくる為に、生きのびていたんだなんて本気で思った。

舞うようにドラムを叩く景さんの姿が美しくて。
笑顔で下手に遊びに来る剣さんの佇まいが麗しくて。
絨毯の上で踊る美月さんの一挙一動が華やかで。
渾身の力で叫ぶ真緒さんの風格は圧巻で。

でも何よりも、下手を見つめ、凛と立つ亜季さんの姿が神々しくて。
ああ、神様だ。と何度も何度も思った。

Sadieの亜季は変わらず、私の神様だった。

帰り道、全身の筋肉の震えを感じながら、たまたま服に入ってきた亜季さんのピックを握りしめて、思った。

何度でも、言わせてください。
おかえりなさい、神様。







たまたま書き終えた日がこんなにもおめでたい日だとは、偶然にしてもできすぎていますね。
亜季さん、お誕生日おめでとうございます。

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