孫の顔を見れると思うな

こんにちは、犬です。

皆さん、こどもは好きですか?


僕は、一概には言えません。
こどもによります。

こどもと言えども人間ですからね。
好きなこどももいれば
嫌いなこどももいます。
人間ですからね。

こういうのを、大人げないと言います。


さて、日本では少子高齢化社会が進んでいます。

ここ10年以上、総人口は減少し続けており、
総人口に対する14歳以下の若年層の割合の減少と、
65歳以上の高齢者の割合の増加は30年以上続いています。

こどもがどんどん減っています。

婚姻率もどんどん下がっています。

なぜこんなことになっているのでしょう。

まぁ、そんなことはさまざまな学者さんが
さまざまな文献からきちんと研究して
いろんな説が発表されていると思います。


今回は、無勉強な一般人である僕による、
一切根拠のない説を書かせていただきます。


結論から言うと、
「結婚、出産、子育て」が幸せだという風潮
そのしわ寄せが来たのだろうと思います。

少し長い前置きになりますが、
アメリカの哲学者、
マイケル・サンデルさん曰く
正義には3つの立場があるそうです。
簡単に説明します。

「幸福の最大化」
功利主義ともいいます。
最多数の幸福を追求します。
そのために少数の個人の犠牲は厭いません。

「自由の尊重」
自由主義ともいいます。
個人の自由は何物にも縛られません。
社会制度に従わせることすら自由の侵害です。

「美徳の促進」
コミュニタリアリズムともいいます。
共同体だからこそ仲良くします。
道徳を共通認識として大事にします。

これらの立場が各々の正義を主張しながら
社会はバランスをとっています。

あくまで私見ですが、
現代では「自由の尊重」の傾向が強くなっているような気がします。

社会全体の利益の最大化や、
共同体としての道徳よりも、
個人の自由こそが幸せだとする人が増えていると思います。


なぜそういう傾向にあるのかというと
人が生きる上での幸せの形があまりにも増えすぎたためだと思います。

誰でもどこでも、低いコストで自分の求める娯楽が手に入ります。
それも十数年前ですら比較にならないほどの進歩とともに今もなお増え続けています。

少し前までの社会では、
人生の伴侶と共に家庭を築き、
こどもを産み、一人前になるまで成長を見守る。
それが人生においてメジャーな幸せの形だとされてきました。

しかし、今ではそんなことをしなくても、
一人でも十分幸せに生きて、
十分幸せに死ぬことができてしまいます。
その手段も多種多様、自分に合った生き方死に方を選び放題です。

これでは、わざわざ幸せのために家庭を持って子を育てる人生を選ぶ人が減るのは当然です。

いわば
Video kill the radio star.
のようなものです。

Amusement kill the our children.
です。
ちょっと違うか。

一応言っておきますが、
僕は反出生主義ではありません。
僕自身はおそらくかなり偏ったリベラリストだと思います。
子を持つも持たないも個人の自由だと考えています。

しかし、こどもの数が減ってしまえば
国が衰退するのは確実です。



ここからは極端にはなりますが、
僕個人の考える解決策です。


国家として少子化対策だけを考えるなら、
子を持つことを国民の義務とするのが早いと思います。

結局、生物の大義である子孫繁栄を
「人生の幸せ」なんて曖昧なものにすり替えて促進させようとした結果、
それに代わる数多の幸せに淘汰されてしまったわけです。

ならば、綺麗ごとは取っ払ってしまって、
生物としての繁殖行為だと認めて、
きちんと目的を持って行わせることが
国民を増やし国家を強化する最短ルートだと思います。


もちろん、僕はそんな国家には断固として反対しますが。


こどもを持たない人生が当たり前の世の中になれば、
当然、こどものこども、孫を見ることもかないません。

「早く孫の顔が見たいわあ」
なんてことをいうご老人も
近い将来にいなくなってしまうのかもしれません。

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