「移動し続ける」ということ
どうも、Doga(@DogadogaTv)です。
皆さん、今住んでいる土地にどれくらい住んでいますか?町でも、県でも、国でもいいです。今までどれくらい移動してきましたか?
僕は愛媛県で生まれ約18年間暮らし、高知県に4年間、名古屋に2年間、東京に3年半、そして今トロントで暮らしています。はい、東へ東へ移動し続けています。今回はついに太平洋を越えてしまったわけです。
高校を卒業後故郷とは違う土地で暮らし移動し続けてきた僕ですが、個人的に一つの場所に留まり続けるということはもったいないことだと思っています。しかし「これだけ世界が広いのに何で他の国へ行かないんですか!」(ドヤ)みたいなことは言いません。
ただ単純に「残る必要がなければ移動すればいいじゃん」というのが僕のスタンスです。そこで本日は「移動し続ける」ということについて僕自身の経験を交えながら考えてみたいと思います。
僕の「移動」体験
まず僕の移動体験は大学進学で高知県へ移り住んだ時から始まりました。それまでは故郷の愛媛県でしか暮らしたことがなく、旅行で海外や他の県へ行くなんてこともほとんどなかった人間でしたので、まさに「井の中の蛙」状態でした。
そのこともあり、当然ながら高知県へ移り住むということに胸を躍らせておりましたし、その時から初一人暮らしが始まることとなりました。「一人暮らしは大変だ」とよく言いますし、確かに最初は慣れるまで大変でしたが、それよりも一人暮らしで得られる「自由」の方が僕にとっては大きかったです。また今まで訪れたことのない土地に足を踏み入れ、隣人愛、環境、感動、苦労などなど、たくさん新たなモノを得られました。
大学卒業後、大学院で名古屋へ引っ越し、そこで2年間暮らしました。当然ながら大学院に通うわけですので、主要な仕事は「研究」をすることです。ただ名古屋という新たな土地で得られたかけがえのない友人、知り合い、名古屋の食文化の多様性(というか特異性?)、研究することの難しさ、都会の雰囲気、地下鉄の利便性などなど、これまたたくさんの新たな体験ができました。それらは高知に住み続けていれば体験できなかったことでしょう。
その後就職し東京で暮らすようになりました。東京は名古屋の比にならないくらい都会で、元「井の中の蛙」であった僕は都市文化の醍醐味を経験することになります。目的があれば何でもそろえてくれる、そんな街が東京でした。アートに興味があれば簡単に美術館でアートに触れられますし、気になるレストラン・カフェがあれば簡単に足を運べます。また欲しいものがあれば何でも簡単に手に入ります。
また東京の会社に勤め「日本の組織で働く」ということを初めて本格的に体験することとなります。それによって働くことの達成感、人脈、働くことの意味などなど、たくさんのことを得られたと思います。今となってはそれらもとても良い経験だったと思っています。
ただ一貫してるのは、常に僕は「その土地で暮らすことの必要性」に忠実であったということです。大学のために高知で暮らし、大学院のために名古屋で暮らし、仕事のために東京で暮らし、国外で自分の力を試してみるためにトロントで暮らしています。(まぁたまたまトロントになったわけですが笑)
「移動」で生まれる多様性
上述した通り、僕は移動をすることによってたくさんのことを得てきました。全てが新たな体験です。同じところに居続けていれば、この新たな体験の数は限られていたことでしょう。
以前にも食文化の件で話しましたが、「文化」というのはその土地に根ざします。英語の「Culture」という言葉はラテン語の「colere」(Cultivate)から来ています。「耕す」ことから来ているのです。つまり「耕す」ということはその土地に紐付いているのです。文化を知るということは、「その土地を知る」ということと同義なわけです。
様々な土地に移動することにより、人はその土地の文化を知ることになり、結果的に「自分自身の文化」が多様になっていくのだと思います。別に国をまたぐ必要はありません。今自分が慣れ親しんだ土地を離れ、新たな土地に移り住むことに意味があるのだと思います。自分自身をCultivate(耕)していくのです。
「移動」とはそういうものです。
この先僕はどこへ向かうのか
ではこの後僕はどこへ向かうのでしょうか?それは僕にもまだ分かりません。トロントで暮らす必要がなくなった際にはこの土地を去ることになるでしょう。ただその時には新たな土地の、新たな必要性が生まれているはずです。日本に戻ることになるかもしれませんし、ヨーロッパへ渡ることになるかもしれません。それは、その時の必要性によるでしょう。
少なくとも、今自分が成し遂げたいことを実現しようとすると3、4年はトロントで暮らすことになると思います。ただ、僕は常にこの「移動」に対してポジティブです。移動をしたいと思う時は常に好奇心と野心が存在しています。僕にとって「好奇心」は「不安」の裏返しですし、「野心」は「未開」の裏返しです。
そんなこんなで、一つのことに執着せず、常に変わり続けていくことが最も重要だと思います。一つのことに執着すると、それ以外のことは得られなくなります。常に新たな文化・価値観を得続けたいのであれば、移動し続けるべきでしょう。
ということで、自分の中での「移動」論を語ってみたわけですが、自分なりの「移動」を見つけられれば結果的にそれは自分のためになるはずです。
日本に住んでいると、良い意味、悪い意味で、均一性に固執しがちです。今いる環境に満足をして、それ以上の可能性を求めようとしません。
そんな時にこそ「移動」をしてみるのはいかがでしょうか。まずは近い距離からでも構いません。今いる生活圏から出て、新たな刺激を得ることに意味があるはずですので。
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