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有村架純に同情するのは僕が子供だからですか? ~今さらながら『花束みたいな恋をした』を観てみた~

大人になるってどういうことかを初めて学んだのは、復讐に憑りつかれたサスケを追いかけようとするナルトに対して、自来也が「もう大人になれ」と言い放ったあの場面だろうか。
結局その説得は失敗に終わるのだが。

改めて、大人になるとはどういうことか考えさせられる機会があった。


先日、今さらながら『花束みたいな恋をした』を鑑賞した。

運命的な出会いをした大学生の絹(有村架純)と麦(菅田将暉)が、環境の変化とともに徐々にすれ違っていく様子を儚く描いた作品だ。

大学を卒業し、ともにフリーターとして同居生活を送っていた二人は、余裕はなくとも幸せな日々を暮らしていた。

しかし、就活を機に二人の価値観の違いがあらわになってくる。

生計をたてるために夢をあきらめ一般企業に就職した麦の一方、絹は自分の好きなことを仕事にしたいと、麦に無断でイベント会社へ転職。

いつまでも学生気分の絹に苛立ちを覚えた麦は、「結婚しようよ。俺が稼ぐから、絹ちゃんはずっと家にいて、好きなことをしていればいいじゃん」と、最悪なプロポーズをしてしまう。

このセリフを聞いたとき、率直に僕は、「ひどいこと言うなぁ」と思った。男が稼いで女はずっと家にいろ!なんて、女性のことを何も考えていない古い考えだ、と。

しかし、この麦のセリフの本質は違うところにあることに後々気づく。

物語のラスト、すれ違ったままの二人はファミレスで別れ話をする。すでに恋愛感情は冷め切り、元通りにはなれないと言う絹に対し、麦は「結婚して家族になれば絶対うまくやっていけるって。世の中の家族ほとんどがそういうもんなんだよ」と、再び結婚を持ちかける。

そのセリフは決して、ごまかしでも妥協でもない。麦は常に現実を見ていたのだ。仕事も結婚も、遊びじゃない。すべてが理想通りにはいかないのだ。

いつまでも学生気分の絹、そして僕は、“大人になった”麦の正しさに気付けなかった。

結局二人は別れ、決して無駄ではなかった花束のような5年間の恋は終わりを迎える。


後日、この作品の話を母にしてみた。当たり前だが、母は大人だった。僕とは違い、麦に同情し、絹を批判していた。

人によって見方が変わる、という言葉はよく聞くが、この作品はまさにそうだった。

母と作品の話をした後は、延々と父の愚痴話を聞かされることに。「じゃあどうして結婚したの?」という質問は胸の内にとどめておいたが、結婚にはきっと、愛情だけでは解決できない様々な責任が絡んでくるのだろう。

そして、それがわからない僕はきっとまだ、子供なのだろう。

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