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やっぱり生活には娯楽や虚構が必要だと思う3つの理由

はじめましての方から頻繁に起こしいただく方まで、ようこそ。
どうも、ゑんどう @ryosuke_endo です。

娯楽だとか虚構といった誰かがアタマの中で考えたストーリーラインに触れることが大好きだったりします。これ、嫌いな人がいるのかどうか疑問なのですが、仮に嫌いな人がいるとしたら話が合わないと思いますから、これ以上読まないでください。

はじめに

漫画やアニメ、映画などもあれば、小説や記事に動画といった余剰時間を楽しめるコンテンツが溢れていますよねぇ。

スキで仕方ありません。

繰り返しになりますが、あの余剰時間を楽しめるコンテンツが切らない人ってのはいるんでしょうかね。仮にいるのだとしたら、何をそんなに嫌になることがあったのかをぜひ共有いただきたいです。

今回、このnoteを書こうと思ったのは、デイリーポータルZウェブマスターである林さんが出した「実写版Zoom」って記事を目にし、本気で喜んだことが理由です。

元来、ウェブ上に転がってるビジネス芸人たちが繰り広げる熱いバトルもの(?)もスキなのですが、それ以上にこういう「いい大人が何してんだよ」みたいなのが大好きなのです。

他にも虚構新聞も発刊された当初は本気で騙された自分を毛嫌いしそうになったこともあるのですが、まったく情報リテラシーの低い状態であることを自覚できた意味では有意義な時間だったと回顧してるところです。

電気料金の高騰が止まらなくなってきてるし、平均賃金は一向に上がる気配もない中で物価だけはドンドンと上昇していくって世知辛い状態ですが、娯楽だとか虚構って必要だよな!って理由を書いていきたいので暇な人は読んでください。

他人の妄想に脳を汚染される愉悦

何より、ぼくが娯楽や虚構を欲する理由がこれです。

ぼくたちの脳は日夜、脳科学研究者たちが懸命に仮説検証を繰り返す中で明らかになっている部分が増えてきているのだろうけれど、聞くところによると解明されている部分なんてまだ微小だという。

「え?まだまだわかってないことが多いってこと?」そう聞くぼくに向かって脳科学者は「No」とはいわず「Yes」と答えた、みたいなどうしようもないダジャレを思いついたので書いてみた。

書いてみて後悔してるのは秘密である。

でも、ここまで辛抱強く読んでくれている人は少し妄想しましたよね。

ぼくが脳科学者に面している場面なのか、これを読んでる自分なのかはわからないけれど、茂木健一郎さんみたいな脳科学者っぽい人が目の前にいて、その人に向かって「え?まだまだわかってないことが多いってこと?」とフランクに話しかけている様子を想像しちゃったんじゃないですか。

この「自分の脳内に他人の考えた物語が入り込んでくる」って体験がスキなんですよねぇ…

顔も見たことのない誰かが書いた小説なんて、それの極地だったりするわけじゃないですか。妄想だらけなわけですが、あの「他人の妄想を享受して妄想してる」瞬間がたまらないわけです。

それを出来ている自分の脳活動に感謝するわけですが、それを堪能できることに愉悦を感じてしまいますし、さらに堪能したくなるのです。

心理的な余裕を実感する機会

他人の妄想で自分の脳内を汚染されるような体験を愉悦であると書きましたが、その根源は「それを享受する心理的な余裕を実感できること」にあります。

娯楽や虚構を楽しむ時間すらつくれないだなんて人生は嫌だ。

これはぼくの人生におけるモットーです。モットーってなんだ?って考えてしまったので、ググッてみました。「標語」や「座右の銘」だそうです。
可愛くないですか?カタカナで「モットー」。

なんでかわいいと思ったんだろう…あ、ミニオンズにオットーってキャラクターがいたんだった!モットーとオットーの響きが似ているから可愛さを感じたんですね!

(C)2020 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED

ほら、こういう余裕ですよ。

付き合う立場になってみたら「なんとくだらない…」と冷笑や嘲笑を投げかけてしまいたくなるような心持ちかもしれませんが、少なくともぼくは満たされてるわけです。

娯楽や虚構が脳内で即出しできるような状況になっている、この状況、脳内環境を構築できていることに大いなる喜びを抱きます。

なぜなら、それはぼくが心身ともに健康な状態であることを示す、何よりもバロメーターになっているから。

過去にメンタルをクタクタになり、立ち上がることすら困難だった状態を経験している立場からすると心身の健康を実感できる何かしらを得ていることは非常に大切なものであると実感できます。

健康、大事ですよね。

妄想や想像することは意欲の源泉だ

何より、虚構や娯楽に触れること、ひいては他人の妄想や想像に自分の脳をハックされる状況を嗜むのは、根本的に意欲の源泉であるといえます。

たとえば、虚構新聞の記事「壁ドン」事案ゼロ目指す 隣室覗けるマンション 大阪・伊手前市 これは嘘ニュースです」を読んでみてください。

わかります?

上で引用したタイトルに「これは嘘ニュースです」って入ってますが、記事内でタイトルをパット見しただけではわからないんですよ。

記事タイトルをドラッグしてみると「これは嘘ニュースです」って白文字が浮かび上がってきます。

こういう細かいところまでこだわって虚構を貫いてくる姿勢!

別にやらなくていいじゃないですか。だけど虚構新聞社は虚構を出すことに誇りと意地をもっているわけですよね。

誰かがこのニュースを誰かに共有しようとタイトルをドラッグしコピペした際に「…ん?う、嘘ニュース??なにいいいい!!!」みたいなところまでが物語なわけですよ。

ほら、こういう妄想や想像までできるわけです。たのしいですよね。こういうくっだらない妄想や想像をできることってうれしいじゃないですか。

このうれしさを享受するために日常生活を送っている、仕事をがんばっているということができます。妄想や想像を享受することが意欲につながってるわけですよ。

おわりに

ふぅ…。想定よりも時間がかかってしまった。書きはじめたときにはもっとサラッと書けると思ったのに…。

でも、それだけ虚構や娯楽に向けた感情が立派に育めているということですな。

虚構や娯楽って、生活を彩ってくれるものだと「ぼくは」理解しています。反対をしてくれる人もいるでしょうが、冒頭でも書いたようにそういう人とは根本的に理解できないでしょうが、元気であればそれでいいのではないでしょうか!

みんな、虚構や娯楽をもっと享受しよう!

ではでは。

ゑんどう

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。 お読みいただき、それについてコメントつきで各SNSへ投稿していただけたら即座に反応の上でお礼を申し上げます!