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#お金のあつめ方 いよいよ当日です

当日になっていうのもおかしな気もするのですが、なんなんでしょうね、お金って。

「なくては生活ができない」と、言われそうなものですが、手持ちのお金が少ないからといって、「=死」に繋がるのかといえば、役所に相談してみると「健康で文化的な最低限どの生活」が保障されているため、どうにか暮らしていけるのも、日本で暮らす我々の事実です。

お金は信用の数値化だ、と最近はよく耳目するようになりました。

これは事実でしょう。なぜなら、法定通過が日本って国の信用から価格を保証されている以上、1万円の紙切れが「1万円である」と保証されるからで、海外の国々との法定通過比較によって、その信用度合いが刻々と変化しているのは毎日の報道の中で耳にすることも少なくないでしょう。

1ドルが100円なのか150円なのか、80円なのか。

日本が豊かなのかそうでないのか。日本から他の国へ出す製品が多くの国にとって魅力的なのかそうでないのか。

そんなことをある程度は、他の国々で利用される通貨と円の比較によって把握できますよね。そうなってくると、あながち、お金は「信用の数値化」だとする言い分には納得できるものがあるように感じます。

何より、ぼくたちはこれまで韓国のウォンや中国の元がいくらなのか、他の国の通過ではいくらになるのかを”なんとなく”気にし、その金額によって、優越感ならぬ優位性みたいなものを感じていたのですが、それも今は昔で、日本は決して豊かではあるけれど、アジアの中での大国の座を中国に明け渡して久しくなります。

別にそれがどうだとかいうつもりはなくて、事実として、そうやって「日本円でいくら」なのかによって、優位性を確認していたのを振り返れば、繰り返しになりますが、お金は信用の数値化だとする主張をすんなりと受け入れるべきだろうなと思うのです。

「信用」と「信頼」

ぼくがこの企画「お金のあつめ方」をやりたいと思ったのには、先に触れてきた「お金」と「信用」の関係性について、もっと具体的に、しかも自分が体験したことがないような額を調達した人たちがどう見えているのか。どう感じているのかを聞きたいと思ったのが一つ。

もう一つが、クラウドファンディングを成功させた際に、「信用」だけでなく「信頼」の度合いも試されているような気がしていて、プロジェクトが成功した後に自分の中に残っていたのが信用だけでなく、信頼も合わさったような、なんとも言えないものが残ったからでした。

そして、その二つの言葉について意味を調べてみると、似たような言葉なのにも関わらず、異なるものだとわかりました。

信用は、履歴や過去などの実績や事実をもとにして出来上がる客観的で第三者的な評価。

信頼は、今以降、つまりは未来に向けて構築される主観的で本能的な評価。

信用には感情がないけれど、信頼には感情がある。また、似たような言葉である信仰は、何も考えずに自己を委ねる態度であるため、信用や信頼とは、また異なりますね。

ぼくは「信用」と「信頼」、この二つの言葉をきちんと使いこなすことで、お金のあつめ方を説明ができそうだなぁ、と思ったのですが、同時にクラウドファンディングを経験した自分としても説明がつきそうだ、と感じたのです。

信用が過去や履歴、そして事実などをもとにした客観的な評価を受けるものなのだとしたら、クラウドファンディングに掲げるプロジェクト、つまりは「企画」が信用に足るかどうかを評価され、そこに起案者の思いや企画に至る物語性が本能的・感情的に評価されて、その二つの掛け合わせによってプロジェクトの成功が左右されると。

そして、その信用を評価される指標の一つに「仲間」があるのだと気づき、物語性も継続しなければならないのだと理解できました。

表情を見せてくれる「仲間」と期待値が継続するかどうかの「物語」

たとえば、クラウドファンディングでプロジェクトの評価をする際に見るものは、製品やサービスの内容はもちろん、それを支援する、もしくは広報してくれている仲間がどんな人たちなのか。その起案者はどんな人たちに囲まれて、そのプロジェクトを企画し、自ら顔を出しては挑戦しようとしているのか。

それも立派な評価基準なのです。

その仲間たちの顔が見えるかどうか、そして、その顔を見せながら応援をしている人たちの「熱」が、きちんとテキストなり、画像なりに込められて発信されているのかどうか。

そして、それらは他人の感動を生んでいるからこそ、生じている行為です。

物語は、1話で完結してしまったら物語ではありません。クラウドファンディングで大切なのは、その企画がファンド成功した後に起こる様々な事象を軸にした継続的な期待値、そして、感動があるからこそ物語として成立するのであり、支援者はそこにお金を投じるのだと、ぼくは考えています。

だから、たった一人で行うプロジェクトなど、うまくはいかないのです。

起案者以外の人たちの表情や態度、姿勢、そして、その起案者に対する”尊重”度合いまでが他者がお金を支払っていいと思えるかどうかの指標であり、それを含めての評価なのです。

ただ、ぼくは大きな金額で事業展開やサービスの提供をした経験がありませんし、これからもそれは期待できるとは思えません。

だからこそ、今回のゲスト2名をはじめ、クラウドファンディングの経験者の人たちにお願いして、それを共有してもらうことにしました。

チケットサイトでの募集自体は終わってしまいましたが、もし、ご都合がついた方は会場へお越しください。

ぜひ、一緒にお金のあつめ方について一緒に考えましょう。



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