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マッチョな働き方は疲弊する。

 どうも、ゑんどう(@ryosuke_endo)です。

 「マッチョ労働」とか「マッチョイズム」なんて言葉が、ここ数年でよく耳にするようになりました。

 現代の日本は4、50年前からわかっていた少子高齢化といった人口問題に大した手を打つことができず深刻な状態に陥っていますが、この問題の一因として、過労や働き方に関する課題が挙げられますが、その働き方を指して「マッチョ」な働き方(長時間労働や過剰な成果主義)と称するわけです。

マッチョイズムは何が問題なのか 

 マッチョな働き方の弊害として、個人の健康や家庭生活を円満に送ることができなくなるなどの悪影響を及ぼし、結果的に出生率の低下や生産性の低下を招いている、なんて考えることができます。

 一応、日本政府や大手を中心とした企業は、これらの問題に対処するために働き方改革を推進しているものの、NHKの記事内に登場するように、働き方を個人が講座等を受けて変革するような事態に陥るなど、個人の努力に依存していることも少なくないでしょう。

 でも、マッチョイズムで家庭も仕事も、とも止められても応えられるスーパーマンやスーパーマンレディーみたいな人たちは例外で、漏れなく、我々はマッチョな働き方をすれば疲弊します。

 「バリバリに働ける人」とか「どんな無理難題もそつなくこなす」、「どれだけ徹夜しても無敵のパワーで乗り切っている」なんてイメージを持つことになるマッチョイズム。

 一見すると、休日出勤やサービス残業は当たり前、長時間労働もやむなし、みたいな働き方をできる人は心身の疲労耐性が高い人に限定されるもののように思えます。

 昨今、男女平等を理由に、女性の社会進出だとかなんとかと言いますが、「家事は女性」といった古い価値観を取り崩すことができないため、女性にマッチョな働き方やマッチョイズムでも崩れない女性が評価されるような事態に陥っているのではないでしょうか。

マッチョイズムは個人の問題じゃない

 そんなマッチョな人を求める企業、ひいては社会ってのは家庭を育むとか、個人の時間を有意義に過ごすといったことをなくしてしまう、諸悪の根源だ、と断罪してしまいそうですが、それはちょっと早計です。

 たしかに、マッチョイズムは体現できる人は要求に耐えうる人は限定されるでしょうが、そのマッチョイズムも人間が生み出した一端であることを踏まえると、それも人間性の一部なのだと言えます。

 もちろん、人間が生み出した、作り出した価値観とはいえ、必ずしも人間の本質を反映しているとは限りません。

 特定の歴史的、文化的、経済的な分脈で形成された価値観なのでしょう。

 もしかしたら、高度経済成長期といった特別な時期に限定された社会適応だったのかもしれません。だとしたら、それはもう現代の社会では有効性が低下しているからこそ、否定的な文脈で語られているに至るわけです。

 まとめると、マッチョイズムは人間性の側面を反映している可能性があるものの、幸福な人生を追なにも空する場合には問題視される可能性があり、人間性を損なう、生活バランスが崩れるような状態に陥る働き方や求められる環境がよくないってことなんですよね。

 マッチョな働き方をするのか、マッチョな働き方をさせるのか。

 要は、個人の働き方の問題なのか、属する企業などの組織的な問題なのかですが、これはもう圧倒的に後者でしょう。

 個人でできることもありますよ。ぼくみたいな無能派閥に属する人間は、仕事の効率が悪いとか、優先順位が間違っているとか散々言われてきましたし、そういった時期を経た今ですら、改善できているのかどうか自信がありません。

 ただ、個人がいくら改善を積み上げたところで、それはあくまでも個人の話ですからね。会社などの組織で仕事をまわす、業務を効率的、合理的に運営するってのは意思決定の階層が異なるもの。

マッチョイズムはブラックな温床か

 また、マッチョイズムってのは働き方だけでなく、権力構造における旧来の男性的な仕事の求められ方や価値基準も含まれますし、そこには何ら合理性も何もあったものではありません。

 あまつさえ、過度な努力や自己犠牲を美徳するような非合理性が美化されるような状態に陥っている組織もあることでしょう。

 そうやって個人が属する集団や組織の風潮や風土、精度がそうなっているのであれば、必然的に人間性を軽視した「仕事中心の生活」を美化することとなり、家族や地域社会との関係づくりなんて無視した働き方をしなければいけなくなります。

 個人にも職業選択の自由はありますが、現状の成果や評価を無視して異なる組織に移ることに向けて勇気が必要だったり、そのコストを支払うぐらいなら…と我慢というか見て見ぬふりをするというか、とにかく諦めてしまう場合もあることでしょう。

 もしかしたら、そういった組織からすると「人間性を保つことを諦めてもらうこと」によって売上や利益を確保することに繋げているのではないかとすら思います。

 ブラック企業ってのは、個人の意思や価値観なんてかなぐり捨ててサービス残業や休日出勤などを行い、ゴリゴリに事業活動をする集団・組織ですが、その背景にはマッチョイズムがあることでしょう。

 当然ながら、そうなってくると個人の問題ではなく集団や組織の問題で、個人がいくら講座を受けて働き方の改革をしたところで、根本的には何にも解決することはありません。

おわりに

 ぼくみたいな豆腐のようにフニャフニャしている人間からすると、ソルジャー的な働き方をできる人たちには圧倒的に敵いません。敵うと思う事すらおこがましい。

 マッチョな存在に憧れることもありましたが、それをやらざるを得ない状況になっていくと、ドンドンと人間として大事なものが損なわれていくような恐怖感が襲ってきます。

 じゃー、その働き方を一緒に暮らしている子どもたちに継承していきたいのかと言われたら、当然「No」です。

 マッチョイズムが残存する企業や組織があってもいいとは思いますが、全体的には少数派となっていってもらいたいなぁ….なんて思う軟派者です。

 ではでは。

 ゑんどう(@ryosuke_endo)


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