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勉強や仕事で「量と質」は大事だけど「機会」も重要だよ

##なに書いた
なにを取り組むにしても「量」をこなすことによって「質」に転化するって話を耳にするし、基本的には同意だけど、「量」や「質」の中に「機会」って要素が抜けてる気がしてますって話です。

どうも、えんどう @ryosuke_endo です。

仕事や勉強において「量が質に転化する」って話を、これでもかと聞かされてきたし、それを実践してきたであろう歴戦の猛者たちは雄弁と語るのですが、どうも素直に受け取れませんでした。

子どもと生活をするようになり、彼らの行動を観察していて感じるのは「量」や「質」の中に「機会」が散りばめられていたり、その環境を整備しておかないと、時間の浪費になってしまうってことです。

つまり「量が質に添加する」と言い放つのであれば、同時に「機会の提供」もする必要があるはずです。

人の成長に「機会」は不可欠

ボクは仕事も勉強も特別に「デキる」状態になったことがありません。

いわゆる「できない側の無能」で、そう自覚しているからこそ「量と時間」の話には納得せざるを得ません。

たしかに圧倒的な質の高い「成果」なり「結果」を出せる人は、時間の使い方が適切だと感じますし、そこに至るまでの時間の使い方が極端に多い傾向にある方がほぼでした。

極端なまでに多くの時間を費やしてインプットとアウトプットを繰り返す中で、アウトプットの精度が上がってくることから「量から質の転化」だと豪語できるのです。

その意見を真っ向から否定するだけの経験も実績もありませんが、少なくとも強者・猛者の主張であり、その人の性格や性質にあった状況や環境だったんだろうことがわかります。

当人は否定するでしょうが、少なからず(その人の性格も含めて)恵まれていた状況や環境だったことはいうまでもないのです。

逆境に強い人だからこそなのかもしれませんし、提出されたアウトプットに対する指摘が適切な上司や先生だったのでインプットの方法や内容を変更することで成長できたのかもしれません。

それらは成長を後押しする「機会」がもたらされていたことを物語ります。努力を否定するつもりはありませんが、当人の周囲にいる人たちや、その人たちが生み出す状況から生み出される機会こそ重要です。

量と質の話をする際に機会について考慮されるべきで、人が成長するためには不可欠な要素だと、ボクは考えています。

それを子どもと生活をする中で、親の立場から彼らの勉強への向き合い方を試行錯誤している中で気づきました。

周囲の人が、どんな「環境」になれるのか

たとえば、小学1年生になったばかりの児童に、ただ漠然とドリルなどを渡して「ひらがな」や「数字の数え方」などを取り組ませたところで、多くの時間を費やしたとしても彼らの成長にはつながらないでしょう。

中には「gifted」な子もいるでしょうし、そんな子は勝手に自己学習を繰り返していくのだろうことは想像に難くありませんが、大半の児童はそうではありません。

親なのか教員なのか、はたまた同じ小学生の年長者か、それより上の学生なのか、そのサポートできる人が誰なのかはわかりませんが、インプットの中でつまずいた際に難点をあぶりだして適切な方向へ共に歩いてくれる人がいるかどうか。

宿題で「おおきなかぶ」の音読をする際に「(Everybody)Say!!」と煽っては「うんとこしょ!どっこいしょ!」と、まるでライブ会場で人気楽曲を歌っているかのような雰囲気を作り出すのは稀なことかもしれませんが、我が家の長男くんは母親である妻さんから、そのような機会を提供してもらっています。

大人になってからも同様です。

周囲の環境となる大人たちが、新人でも中途入社でも構いません。とにかくこれから成果を出していくんだと意気込んでいる人に「量と質」を投げるのではなく、そこにどんな「機会」を提供できるのかどうか。

それによって組織の魅力も変わってくるのでしょうし、家庭の雰囲気も変わってくるはずです。

それは諦めることを止めることなのかもしれません。

ま、わかりませんけどね。

それでは、また!

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