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「脱会社員」とか極端なこという人に左右されないための整え方

はじめましての方から頻繁に起こしいただく方まで、ようこそ。 どうも、えんどう @ryosuke_endo です。

このnoteでは、特に読む必要がないと感じられることかもしれないけれど、ぼくがだれかと対面して話したい”雑談”を文字化するものなので、そんな雑談にお付き合いくださる方は、ぜひ読み進めてください。

情報商材ってのはいつの時代にも情報弱者に向けて「っぽい」情報を提供することで対価として一定の金額を搾取しようって強かな生き方です。

目一杯、情報商材を売りにして生きていくだけの気概を持っているのだとすれば「需要と供給」の問題で、需要、いや養分となる騙される人たちがいるからこそ供給側の情報商材屋さんが肩を切って街を歩けるようになります。

一方、情報商材を手にするところまでは行かずとも「極端なもの言い」に憧れや羨望を抱き、少しずつ感化されていってしまう人もいたりします。情報商材に手を出すような養分となる人は一発「騙された!」とか「何の意味なかったわー!」みたいな実体験を得れば授業料として対価を支払ったことを享受できそうなものですが、徐々に感化された人はジワジワと時間をかけてしまっている分、染まりきってしまいます。

そうならないために、もしくはそうなってしまったとして「脱会社員」のような幸不幸の要素でしかない染色体のような思考をカラダから洗い落とししたり、そもそもそんな言説に左右されないためにはどうしたらいいんだろうなぁ...なんてことを考えてみました。

自分が何者でもないことを自覚する

ぼくも「意識ひくい系」を標榜している以上、そういう人たちの言説に左右されない心理的なバリアを持っているのかというと、そうではありません。
ぼくは元々「意識高い系になりきれなかった系」です。そう、意識高い系に憧れていたし、自分自身が何者になれるのだと信じて疑いもしませんでした。

それが誤りであるだけでなく、実践するための資質が身につくとか身についてないとかって話ではなく、そもそもの資質がないってことを自覚するまで「意識高くいること」が人生において最も大事なことであると本気で考えてましたからね。いまとなっては恐ろしいものです。

だから…と述べるつもりは毛頭ありませんが、自分自身が何者であるのかのように考えてしまっているのだとしたら、それは大きな勘違いであることを自覚しましょう。

もし、仮に自分が何者かであるのだとしたら、すでに頭角を現しているはずですし、脚光を浴びるような成功を収めていてもおかしくはありません。

ましてや、誰かにとっての英雄的な存在であるといった大きな勘違いをしているのだとしたら、即座に見直すべきです。自分の人生、主役は自分かもしれませんが他人の人生にとって自分はモブキャラで、背景の一部とでもいえるぐらいに何の影響力もない人間だと。

とにかく、自分のことを過大評価することなく、大したことのできる存在ではないのだと自覚しましょう。

自分自身の「足る」を知る

他人の言説に左右される状態は、自分にとっての幸福が他人の評価を軸にしていることに他なりません。

ブランド物を身につける理由や高級な自家用車を乗るような生活が、本当に必要な人なんているのかといえば絶対いません。世の中に在るブランド物や高級品は「無駄な装飾」を施すことによって売上金額を高めることをしているのであって実用的かどうかなんてことは二の次です。

他人が作り上げる羨望やあこがれみたいなものを満たすために自身の購買や発言といった行動に反映させることは、一見すると承認欲求を満たす行為のように見えます。

事実、「〇〇を買った。サイコー」なんて投稿を各種ソーシャルメディアでした際に「おおおおお!!!」みたいな反応をして持て囃す人たちは、同じような境遇や精神状態にいる人たちですので、何の参考にもならないコメントをしてくることに終止します。

よくよく考えてみると、その「無駄」を本当に必要なことなんて一切ないのです。

その観点から、自分がなにをしたら満足なのか。なにをすることで幸福を感じられるのか、深く考えてみたほうがいい。多くの人は自己内省というか自己欲求が本来どこのなにから生まれてくるものなのかを把握する前に他人の価値観や欲望に支配されてしまいます。

それが悪いことなのかどうかは置いておきますが、他人の意見に左右されるかどうかだといえば左右されやすい状態にあるといっていいでしょう。

だからこそ、自分の「足る」を知ることは人生を豊かにする意味でも深ぼったほうがいい事柄であることに間違いないでしょう。

一度”わざと”乗っかってみる

「無駄」も「なんか違う」といった物事への捉え方は「体験すること」によって理解の度合いは大きく異なります。

身銭を大きく損失することは大きな痛手ですし、仮にですが情報商材に借金をしてまで支払う必要があるのかといえば多くの人たちが「バカか」と答えるはずです。

しかし、左右されてしまっている人はそんなことお構いなしな精神状態になってしまってますから、冷静な判断なんてことはできるはずもありません。
だったら、一度なのか二度なのかはわかりませんが、許容できる範囲までの損失を覚悟でわざと乗っかってみることでいいのかもしれません。

「誰でも」とか「楽に」、「○ヶ月で○桁万円!」みたいなもの言いに左右されてみるのです。片足を突っ込むぐらいに乗っかり、簡単に誰でも○ヶ月以内に○万円稼げるようになるのかってのを体験して確認してみると判断ができるはず。

考えてわからないのなら体験することで判断する。

合理的ですよ。最近の無駄を省こうとするビジネス潮流は見事に反映させるべきですが、無駄を無駄だと自覚できる人たちが集まらなければ無駄を省くことなんてできないのです。

情報商材や脱会社員みたいな言説に触れて左右されることを防ぐためには心理的な余裕や余白が必要で、そのためには無駄や違和感を実感して理解することでしかわかりません。

だから、いっそのこと乗っかってみて無駄なのか無駄ではないのかを検証してから判断することからはじめればいいのではないでしょうか。

うん。そうしましょう。

ではでは。

えんどう

紹介したいnote

会社員かどうかが重要なのではなく、自分がどう生きたいのかを自分で規定できているのかを把握しているのかどうかが重要なんですよね。

情報商材屋っぽいnoteを書くためには情報商材を味わったことがなければ書けません。日本語を読んだことのないアフリカ人は日本語を書くことなんてできないのですから。

商材選びを間違えるかどうかは「間違ったことがある」ことが大事で、間違った体験をどこまで許容できるのかって話なのかな、と。しらんけど。


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