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過去と未来を「いま」手書きする #わたしのほぼ日手帳の使い方

今年に入ってから、ここ何年も愛用しているほぼ日手帳を、珍しく毎日書いている。

それまでは毎日なんて書かなくて、いや、書けなくて......自分の入り用になった際にメモを残したり、読んだ本についてまとめる場所として利用していたのだけど、ちょっと使い方を変えてみようかな、と思い毎日書くようにしてみた。

どんなふうに使ってるのかといえば、「昨日の振り返り」と「未来への妄想」だ。

自分が抱いた感情や思考、体験したことや痛感したこと、そして未来に対する「妄想」を1日の始まりの(起床してから)10分から15分ほど使って書くようにしている。

前日の記憶の整理になるのはそうなんだけど、同時に「妄想の手書き」に対する認識っていうか、感じ方が大きく変わってきた。

手書きをするのは嫌いではないのだけど、どう考えてもタイピングの方が自分の考えている速度と並行して書けるのもあり、今となってはタイピングやフリック入力をするのが生活の前提になっていた。

そんな中で、まだ2週間ほどしか経過してないけれど、記憶の整理や未来の妄想を手書きにすることに対して、これまでにないほど興奮している。

「思考」と「時間」の深まりが感じられる

手書きの場合、どうしても時間が必要になる。先にも触れているように、起床してから10~15分ほどを使って、前日の振返りや未来への妄想を書くから、それなりに時間が必要になる。内容によっては、思考に詰まりを感じながら書くため、もっと時間がかかる場合もある。

それによって感じているのは、「思考」「時間」の深まり。

「時間の深まり」って表現に、ちょっと違和感があるのだけど、思考が深まるのとは少し意味合いが違っていて、思考を深くまで落とせるようになるのと同時に、時間に対しても没入感がある

手書きで手紙を書く際には、あれこれと考えて書く上に、書き間違えた際にはdeleteキーやbuck spaceキーなんてないから、書き直しになったり、消しゴムで消したりしなければならない。

ぼくは基本的にボールペンで書いているため、書き直しはできないのだけど、それすらも「思考時間の深まり」には必要な要素

書き直しができないからこそ、未来の自分に対して何を残すのかを大切にしなければならないし、自分自身、読み返した際に汚い字面で埋まったページを読みたいとは思えない。

だからこそ、未来の自分に向けて丁寧に書き連ねていきたいと思うのと同時に、その時間が、より深い思考なり、過ごす時間になっているのだと感じられる。

過去と未来をつなぐ「いま」を実感する

前日の記憶を辿るのは過去への旅だし、未来への妄想は未来への旅。そのどちらにも思考を巡らしている時間を設けている「いま」に対して、儚さを感じるようになった。

1日24時間の中で、睡眠時間も含めたら起きている時間は、ぼくの場合16~18時間。その最初の行為が「過去と未来をつなぐこと」だと思い、なんだか最近は毎朝ワクワクしている。

別にぼくの人生における過去と未来なんて、他人からしたら大したこともなく、味気ない人生なのかもしれないけど、それでもぼく自身の人生だ。ぼくが満足するために過ごそうと思って、悪いことはない。

誰かを蹴落としたり、引きずり降ろしたりするのではなく、自分自身がどうありたいのか、どうあるべきか。

自分が満足するための行為や行動、思考や体験ってなんだ、と考えながら、実際にそれを「言葉」として落とし込んでいく毎朝の作業が、楽しく、やりがいに満ちている。

そんな「いま」を大切にしたいと心底、思えるようになった。

書くことはなんでもいいけど、妄想を大事にしたい。

「過去」なんて書いてるから、カッコよさそうに読めてしまうのだけど、書いているのは前日の振返りだから、子どもに対して怒ったとか、泣かせたとか、笑わせたとか、そんな内容も入る。

#我が家の妻が述べました とTwitterでたまに発信をしたりするけれど、その元ネタになるようなことを妻が言っていたら、それを書いたりもする。

失敗したことも、後悔したことも、総じて振返り、取捨選別する

何もかもを書きたいと思いながら必死に削って選ぶこともあれば、なんとか出さなければ......と必死になりながら思い返す日だってある。

いくつか書き残したいと思う事柄をあげたら、それの未来も同時に考える。未来にはどうしたいのか。関連することでも、自分自身のことだけだったとしても、とにかく未来まで見据える。

未来のことなんて誰にもわからないんだから、気にしない。

5秒後に子どもたち3名のうち誰かが、鼻血を出してビックリし、泣きながら起きてくるかもしれない。そうなれば書いてる場合ではなくなるのだけど。。

未来は不確定なものだけど、妄想をしてなければ達成することもない。妄想はすればするほどにリアルになっていき、現実味が増していく。妄想は、頭がお花畑の状態なのだけど、それだからこそ、豊かな「こころ」が育まれるものだと、ぼくは思う。

妄想をするのは「現実を知らない子ども」だけの特権ではなく、「現実に打ちのめされた大人」にだってやる権利はある。ぼくはむしろ、大人だからこそ、未来への妄想はすべきだとすら考えている

カッコいいとか悪いとかじゃなくて、偉いとか偉くないとかでもなくて、いいとか悪いでもなく、「自己満足」をする人生を送るために「妄想」は不可欠なものではないかなぁ、なんてことも思い始めた。

なんでもいいから書いてみよう。昨日のこと、そして、未来のこと。


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