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noteの本数が累計で1300本を超えたので

 先日、書いていた本数が1300を超えていた。

 どうも、えんどう @ryosuke_endo です。

 正直、僕がここで書く内容がとても優れてすばらしいものであるのかと言えば、駄文の連続である自覚を抱いている。しかし、僕が好きで書く文章なのだから「それでいいし、それがいい。」と思いながら書き続け、その結果、1300本っていう中途半端ながらも自分としては何だか達成感のある本数を超えた。
 そこで、改めて『書く理由』を綴ってみる。

▶︎ 人の話を聞くために

▷ 僕は話したいことなどない

 まず、僕がnoteにアカウント登録したのはローンチまもない2014年4月だ。それでいうとユーザー歴としては既に7年を超えるベテラン(!)である。だからなんだということもないが、ユーザー歴が長いことだけわかってもらえればそれでいい。

 ▼ 以下は記念すべき初投稿。とりあえず新しいサービスには乗っかるという姿勢が窺い知れる、素晴らしく内容のない投稿である。

 しかし、アカウントを取得したものの保持しているだけの期間が長く、2018年までは特に動きのないアカウントユーザーであった。そこから何やかんやとあり、2018年の5月から毎日の更新をスタートさせることになる。

 ▼ 何やかんやというのは以下である。UEFAチャンピオンズリーグの運営会社であるT.E.A.M.MARKETINGに初のアジア人として登用された日本人、岡部恭英さん(@yasuokabe)とTwitterで絡んだことを発端にイベントを開催することになった。

 当時はnoteのユーザーが急激に伸びはじめていた時期でもあり、毎日継続登校するユーザーが増えていた時期でもあった。だからこそ、意味不明な文章を書き続けたとしても一定数は読んでもらえたし、それなりにフォロワー数も増えはじめた。

 しかし、根本的に僕は対外的に話したいことなどないのである。自分の身の丈に合わない幻想を抱くこともなければ、遙かなる野望なんてものもない。ただただ平凡なその辺にいるモブキャラだ。

 読んでもらえる数が増えていくことは嬉しいとは思いながらも、特筆すべきものが何もないモブキャラが書く文章に何の価値があるとは思えない。実際、月間で3万を超えたが、そこが限界な気もしている。

 そう、僕は特段だれかに面と向かって話したいことや話せることなどない、どこにでもいる平凡な人間なのである。卑下するわけでもなければ、卑屈になっているわけでもない。

至って真剣に僕は自分のことを「普通の人間」だと思っている。

▷ 書くからこそ人の話を聞ける

 途中、体調面(特に心理的な面)で調子を崩したこともあり1000本を超えたあたりで中断をすることになったが、半年して再び更新をはじめ、今では1300本を超える僕の書いた雑談コンテンツがnote内のストレージを圧迫する材料として残り続けている。

 毎日書くようにしはじめてから3年以上経過したわけだが、この3年で明らかに変化したというか自覚したことがある。

 それは「他人の話を聞く下準備ができている」ことだ。

 それまでも僕は割と素直に人の話を聞ける人間であったと自覚しているし、自分で言うのもなんだが真面目な部類の人間である。他人が話しているのに鼻くそをほじったりするような人間ではない。

 しかし、この毎日更新をするようになって3年が経過した今、他人の話を聞こうとする自身の心持ちが明らかに整っていることに気づいた。何度もいうが、これまでも他人の話を聞く際にふざけた態度をとっていたわけでも、取ろうとしていたつもりもない。

 いまはそれが明らかに変化しているのだと実感しているのだ。

 これは話したいことはないくせに言いたいことがあるという、ちょっと面倒な性格のせいかもしれないが、note内で自らの前提を踏まえた意見を書き連ねることにより、相手が話す事柄についても「前提が何か」とか「本意としては何を言いたいのか」、はたまた「結論は何か」といったことを必死に受け取ろうとするようになっているのである。

 おそらく、僕は毎日アウトプットをすることにより心理的な空間があるとして、そこに余剰をつくり出せているのではないかと推察している。いや、わからんけども。

 いずれにしても面と向かって話すにしても、こちらからの意見を求められるにしても、相手の前提は何か。その前提から出されている意見と主旨はどこに向くのか、それを受けて自分はどうするのかを毎日書きはじめてから随分と受け取りやすくなったのは確かだ。

▷ 利得を得たいが大きな利益は出し得ない

 何より、毎日書くようになってからは話すことが少なくなった

 正確にいうと、自分が話したいことは既に書いていることもあり、読んでから話しかけてくれる人が増えたのである。だから僕は特に話すことがなくなった。note上の「えんどう」さんが既に意見を述べてくれているため、実物の「遠藤涼介」は話すことがなくなったのだ。

 だから他人の話すことをすんなりと受け取れるし、それを受け取った上で自身の行動を考える余白を生むことにもつながっている。つまり、自分の生活に余裕ができているのである。

 これを書くようになってから、確かに単発的にも継続的にもお仕事をいただける機会は増えた。それほど大きな利益を出すようなことはないが、僕の身の丈にあったというか、相応の利得を得るには至っている。それでいいし、それがいい。

 そもそもお金儲けのために書くことは考えてもいない。僕が毎日の更新をしはじめた2018年に現在はnoteプロデューサーであると徳力さんは以下のように書いており、当時も今も全面的に賛成である。

 功を奏したのかどうなのかはわからないが、結果的に実名で顔出しでSNSをやっていたおかげで上記した利得に恵まれたことから、普通の人事例として徳力さんの書籍にテキストで紹介していただく機会にも恵まれた。

言ってしまえば一銭にもならない趣味である。

 それ以上でもそれ以下でもないが、他人を蔑むことも書かないし、傷つけるようなことも書かないようにしている。だから閲覧数が突然跳ねることもないし、粛々と読まれるのか読まれないのかといった境界線を行ったり来たりしている。

書くことは好きだ。何よりも自分の思考が整理されるのを実感する。

 商業的な文章を書くこともあるし、依頼主の要望に沿った内容で名もないライターとして書くこともあるが、それは誰かの筋道を通すためのものだ。

 ここで書けることは広大な情報の中から選り好みしたものであり、選り好みしたものをさらに狭い漏斗で絞りながら言葉を紡いで文章とすることに喜びと苦しみと楽しさを混同させている。

 いかにも陰キャな僕にぴったりな趣味だが、ひとまずは1500本まで行きたいし、2000本にも到達してみたい。そのときにどう感じているのかを知りたいという知的好奇心から、そう思えている。

 これまでにお読みくださったみなさん、ありがとうございます。

 この機会に読んでくださった方、どうぞお越しくださいました。

 現状、2000近いユーザーアカウントからフォローしていただいているが、なんでフォローしていただけているのかはさっぱりわからない。しかし、嬉しいことに違いはない。ありがとうございます。

 これからも味気ない文章を書いていきますが、いつか大成するかもしれません。ごめんなさい。することはないと思いますが、お付き合いいただけるとうれしいです。

 ではでは。

えんどう

▶︎ おまけ

▷ 紹介したいnote

 文中でも紹介したが、徳力さんの書籍『普通の人のためのSNSの教科書』が書かれるに至った裏話などを読みたい方はぜひ。

 ユーザー数が増えたことから、圧倒的に文章が上手な人が増えた。いったい、どんな思考と体験をもってすればこんな文章が書けるのか…と恐ろしくもある。2021年に多く読まれているnoteを読みたい方はこちら。

 僕は過去の自分に向けて文章を書くようにしている。10年前の自分に伝えるためだ。そのために前提となる情報が必要で、その前提からどんな意見を出すのかを日々綴っている。しろさんは未来の誰かに向けて書くのだそう。そういう方もいるのかと学びになった。

 才能の話だ。文中でえとみほさんは「才能とは違和感に気づけること」としている。いかん。僕には圧倒的に違和感に対するアラートが低い。それで困ったことは何度もある。しかし、それが才能、いや、特性なのかとすると腑に落ちた。

 メディアプラットフォームであるnoteの中の人が採用後方への活かし方を書いてくれている。noteの中の人たちに直接対面した人はいないが、みんながんばってる印象である。これからも応援する。

 noteを書くようにしてからは「こんなはずじゃなかった」ということが少なくなった。そもそも僕の価値観みたいなものを発信しているせいだろう。合わないと思われたら弾かれるのだ。そういう意味でも仕事の選択肢を広げているのか狭めているのかはサッパリわからないが、僕にとっては効用がある気がしている。そんなことを考えるに至った記事。


▷ 著者のTwitterアカウント紹介

僕の主な生息SNSはTwitterで、日々、意識ひくい系の投稿を繰り返している。気になる人はぜひ以下から覗いてみて欲しい。何ならフォローしてくれると毎日書いているnoteの更新情報をお届けする。


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