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#ADHD とは、受け止めて付き合っていくもの

先月の半ばごろまで入院していたが、その原因がほぼ特定できたので書くことにする。原因は、心因性のものだと分かったが、その根本的な理由は、ぼくがADHD(注意欠如・多動症)であることが大きな要因だった。

かなりプライベートな話ではあるのだけど、同じ様に悩んでいる人がいることを考えると、少しでも理解者が増えることがぼく自身の生活にも好影響があるため、それを期待して書こうと思う。

ただ、これを書くのは「自分がそういう状態であることをひけらかして同情を誘うため」ではなく、ただ、ぼくと同じ様な症状や状態で悩む人にとって、少しでも救いになればと思ってのことを理解してもらいたい。

ADHD(Attention-Deficit Hyperactivity Disorder)

最近はSNSの普及もあり、耳目する機会が増えた人もいるだろうし、なんとなく知っている人が増えてはいるものだと思う。かくいう、ぼくもそうだった。

具体的な症状などは、日本精神神経学会のWebサイトに説明の文言があるため、それを以下に引用する。

ADHD(Attention-Deficit Hyperactivity Disorderの略、日本語訳は「注意欠如・多動症」あるいは「注意欠如・多動性障害」、「注意欠陥・多動性障害」など)は、「忘れ物が多い」、「課題が間にあわない」、「うっかりミスが多い」などの「不注意」症状と、「じっとしていられない」、「落ち着かない」、「待つのが苦手」などの「多動性・衝動性」症状がみられる神経発達症(「発達障害」とほぼ同じ意味で使われる言葉)の一つと考えられています。

子どもの発達障害とする見方が多いのだけど、実は大人の発達障害としても注目されており、近年、その症状や周囲の理解を得られずに苦しんでいる人たちが多くいることが確認されている。

ぼく自身も、そうやって苦しむ人たちを理解しない人間の一人だったと振り返ると、本当に情けなく申し訳ない気持ちになるのだけど、自分自身がそうだったと理解した今、なんとかして理解を広めたいという気持ちが強い。

理解されがたい症状たち

ぼくが日常生活や仕事を取り組む上で気になっていたことを箇条書きにすると以下だ。

* 小学校や中学校の頃からも頻繁にあったのだけど、テストや仕事でケアレスミスが多い
* 不注意による、本来的にいえば「防げるはずのミス」が多発する
* 人の言ったことや約束を「忘れやすい」
* 仕事や生活の中で「優先順位を立てるのが困難」
* 「スケジュール管理が苦手」なため、時間に対して常に余裕を持っていないと心理的に圧迫感が強くなる
* 何か一つのことを取り組んでいて「外部刺激が入ると即座に集中できなくなる」
* 些細な物音や声にも敏感で、「常に外部刺激に対しての注意をしている」
* 「よかれと思った行動も、かえって仇になる」ことが多い
* 「なんでできないの」と言われることが平気で繰り返される

など、どれも「そんなの甘えだ」とか「大人なんだから」と窘(たしな)められてきたし、注意や叱責を受けた機会も一度や二度ではない。

必死に改善しようとするのだけど、苦手なんてレベルではないため、取り組むこと自体に大きな障壁がある様に感じているし、それだからこそ大きな困難。

⇒そして、当人の努力不足だと認識され理解されない。
⇒理解されないながらも必死にやろうとするが、できないことが継続するために心理的に苦しくなり、圧迫感や焦燥感を抱く。

それは職場に限らず、日常生活や家事と言った生活全般においても同様。

子どもの頃は、周囲の大人がうまくサポートをするため、結果的に見過ごされるケースが多いそうだが、成人した人たちは、サポートを受けることも叶わず、ただ「できない人間」「ダメなやつ」などレッテルを貼られてしまい、精神的な居場所を失っていく。

ぼく自身、仕事ができる人間ではないのは認める。ただ、集中して取り組める状況であれば、きちんとやるべきことをやれてきたし、その面で評価を受けたこともある。

それでもスケジューリングやタスク管理などが本当にできないため、ツールやサービスを使わなければ「何をしていて、何をしていないのか」までの把握もできない。

それではいけないから、と覚えようとしたりするのだけど、次から次へと出てくる課題や問題に対し、処理能力が追いつかなくなり、また「何をしていて、何をしていないのか」がわからなくなってしまう。

結果、同じミスを繰り返してしまったり、気を利かせて取り組んだつもりが素っ頓狂な内容で組織的には時間の浪費でしかなかった、なんてことになるのは珍しくない。

この苦しみは、なかなかに理解されないし、理解できる人の方が少ない。なぜなら、「大人ならできて当たり前」だという前提認識があるからだ。

苦しみを緩和するための理解

この症状は本人がやる気がなかったり、努力を怠っているから発現しているものではない。脳の、特に前頭葉の部分的な機能、神経伝達の調節が健常な人たちと比べて少しだけうまくいかないだけなのだ。

投薬を行うことで神経伝達の調節を行うこともできるし、それによって症状が軽快することだって期待できる。

少しでも理解者が増えてほしいと切に願うが、診療機関を受診する前に本人が精神的な疾患を罹患してしまい、結果的にそれが見えなくなる、見つからなくなることがほとんどだと思う。

ぼくは自分の状態が気にかかっており、それを申し出て、診察が可能な医療機関にかかっていたからこそ判明したものの、それでなければ、把握することもなく、今後の対策を自身で立てられず、再び、先に書いた内容を苦しむ様な羽目になるところだった。

「できない人」とレッテルを貼るのは簡単だし、レッテルを貼る側はそれで気が済むのかもしれない。同じ失敗をした際には「なんでできないんだ!」と語気を強めて指導をしたつもりになればいいだろうし、それをして改善されれば自らの指導のおかげだと自己満足に浸れるかもしれない。

だけど、その裏では、理解されない苦しみを抱えながら、ツールなどを駆使して、なんとかやりくりしている人がいるのかもしれない。

そんな風に想像力を働かせては、声をかけて、少しだけ注意を払ってくれるだけで、その本人の心理的な負担は大きく軽減されるし、その当人が自分自身に対して大きな責任感を感じていることを理解してほしい。



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