大人になったら〜魔女見習いをさがして〜(ネタバレ含む)

 11/13公開の「魔女見習いをさがして」を観た。1999年からテレビ朝日系列で放映された「おジャ魔女どれみ」シリーズの20周年企画の作品である。なお私は本シリーズについて、第1期を視聴した程度で鑑賞しました。

 本作では、一流貿易商社でフェアトレードに関わる事業でまあバリバリと働き、仕事にやりがいを見出そうとする東京の27歳のキャリアウーマン吉月ミレ(松井玲奈)、教師になるべく、勉強中の愛知の大学4年生の長瀬ソラ(森川葵)、絵画修復士になるべく、尾道市のお好み焼き屋でアルバイトをしてお金を貯めながら、フリーターをしている19歳の川谷レイカ(百田夏菜子)の3人が主人公である。3人は「おジャ魔女どれみ」シリーズを、年齢の違いから、リアタイをしたり、しなかったりとそれぞれの方法でありながらもすべて視聴しており、ある春の日に、それぞれが鎌倉の「MAHO堂」に似た建物の前で「聖地巡礼」をしている最中に偶然出会う。その後お互いの共通点である「おジャ魔女どれみ」について、意気投合する。そんな彼女らは、それぞれに将来について、悩みを抱えている。「おジャ魔女どれみ」の聖地巡礼を通じた交流の中で、3人はその悩みを解いてゆく。

 私はレイカと同い年(満20歳)であるが、レイカのように「おジャ魔女どれみ」を配信で視聴したりであるとか、そういうようなことをごく最近までしなかった(むしろこの映画の存在を知って少々追い直した位だ)。しかし、年齢の上で大人になった今、幼稚園であるとか小学生であるとか、ずっとずっと小さい子供の頃の自分が、何をしたかったのだろうと久々に思いを馳せるきっかけを作ってくれた映画であり、冒頭10秒で既に涙がブワーーとなり、断続的に泣き続け、クライマックスでブワブワーーーーとなってしまっていた。

「ねえ、みんなは大人になったら、何になりたいの?」どれみちゃんはそんなことを小さい頃の私たちに問いかける。「お菓子屋さん」「猫になる」、私の場合は「わくわくパン屋さんを開く」。そんな答えが、小さい頃の私たちからは帰ってくる。それくらいの頃には、先生だったり、近所の人、両親からも当たり前のように問いかけられ、そういう大人に対して、雄弁に語ったものである。

「ねえ、みんなは大人になったら、何になりたいの?」どれみちゃんは今、大人になった私たちにも問いかける。私たちは、一体何になりたかったのだろう?私たちは今、何をしようとしているのだろう?

大人になった私たち。大人になっても、願ったようにそう上手くは行かない。ミレは商社で社会人として、仕事にやりがいを求めるも、上司に阻まれたり、自分の言いたいことは必ず言う性格が災いしたり、どうも自分のやりたいようにはならない。教師の夢を叶えようとするソラは、教育実習で挫折する。さらに、その教師という夢は、本当に自分の意思で叶えたかったものなのか、苦悩する(脱線するが、ここで思い返されたのは、第1期ではづきちゃんはヴァイオリンを親の影響で始めたのであって、自分の意思で始めた訳ではなかったが、いつの間にか自発的に好きになっていたと語るシーン)。旅の中でようやく成人するレイカは、美術修復士の夢を叶えるべく一歩を踏み出そうとするが、ダメ男につるまれ、夢に向けての具体的な一歩を踏み出せずにいた。

 本作はまずその設定から、かなりユニークである。ターゲットはあの時子供だった、魔法はないことを知る私たち。20周年企画であるが、どれみちゃん達も、ほとんど登場しない。主人公は3人のファンであり、私たちの等身大の存在。そうでありかつ、どこかで渇望したエッセンスばかりである。おジャ魔女どれみ第1期を視聴して常々感じるところは、そのストーリーが、勧善懲悪、ヒーローとヴィランの二項対立ではなく、日常生活で悩む誰かの為に魔法がはたらくところである。純粋なヴィランというものは存在せず、無限の可能性をもつ魔法は、その人助けの為に役立てられる。そしてそのシチュエーションはかなり現実的であり、そこから湧き上がる親近感が、「魔法ってあるのかも?」と私たちに思わせる原動力である。そして本作でも、この現実的な設定、現実的なプロット、現実的なセリフを、キャラクターに一貫させているところが素晴らしい。そんな現実的な苦悩を抱えながらも、主人公3人は至って変わらず純真である。魔法が現実にあるとは思ってはいないが、「魔法ってあるのかも?」そう信じてみる、祈ってみることは結構すぐ実践してみる。それは魔法に縋りたくなる事情があるからというのも大きいだろうが、冷めた態度を取ることなく、ちょっと信じてみようかとすぐやってみる彼女らの純真さも大きい。何をやりたいのか悩む彼女らは、魔法に対しては純真な態度を取りながら、考え、模索する。少し捻くれてしまう時もあるけれど、彼女らが時に抱くそんな純真さを、私も失わないでいたいものだ。

 最後に、ソラがミレとレイカに投げかけた言葉を思い出す。ソラは仕事や夢に向き合う上で、ミレとレイカがもつ素質のようなものも、自分にとっては「魔法」のようなものであると、自分を卑下するように言う。ソラは自分だけが持つアイデンティティを、一体何に求められるのか、深く憂慮していた。それにミレとレイカはすぐさま躊躇うことなく、無鉄砲な自分たちの性格とは違い、そういうふうに考えることができることだと答える。ソラは優柔不断なだけだよとまたまた卑下するが、多分それでいいのである。まだ私たちは、「大人になったら、何になりたいの?」と問われているのである。そう言われたことを振り返る立場に、完全になった訳ではない。最近成人した私は、結局自分が何をしたかったのか、今何をしたいのか、よく分からなくなってしまった。周りは着実に成長する中で、余り活発でもない自分は、どこか置いてけぼりにされたような感情を抱く事が増えた。「大人になったら、何になりたいの?」という言葉を最初に聞いた時、大人の世界に段々と放り込まれ、漠然とした不安を抱く自分にとっては同時に、ちょっぴり辛い風にも刺さった気がする。でもそれだけじゃない。多分、自分が何がしたいのか、見失ったって良いのである。誰にだっていいところはあるのだ。それをそっと大事にしながら、時に立ち止まりながらも、少し先のことを考え続けられるようになれれば、より良い将来が多分あるはずだ。3人だって、この時点では夢が叶った訳でも、なりたい自分になれた訳でもない。全てはこれからなのだ。遠回りしたって良い。

 「大人になったら何になりたいか」は、きっと大人になってから決めたっていいのだ。いつだって良いのだ。 



 



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