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AZZLO、その店に出逢ったときから。DOCTRINEの原点。

DOCTRINEがなぜRubber/Latexに特化した写真を撮るようになったのか、その原点になった「ある店」との出逢い…の話。

Rubber/Latexとの出逢いは19歳の時だった。
それ以前から雑誌やインターネット、他人が身に着けているという意味では当然知ってはいたけど、自分の所有するものとしてはそれが最初だった。
つまり、購入したということ。
現在では、Kurage(西池袋)やFYP(表参道)などでファーストコンタクトを果たす人が多いと思うが、わたしの場合はそれらの店が生まれるよりずっと過去のことである。

人生における大きな分岐点となる瞬間は、南青山にあったAZZLO(アズロ)という店で生まれた。
店舗は四谷坂町と南青山(ギャラリー的要素もあった)にあり、そのどちらにも足を運んだが、最後は南青山の一店に集約されたためそちらに通い購入に至った。

AZZLOは山崎シンジと山崎ユミの二人が創業した、Rubber/Latexウェアや海外フェティッシュを日本に輸入し取り扱っていた草分け的ブティックで、自社刊行物や主催するクラブパーティーなどを通じてこういったものが「Coolである」という印象づけをした象徴的な店(人)だと考える。
アダルトショップではなく、ファッション・カルチャー・アート・フェティシズムなど様々な観点からアプローチし、かっこよさや憧れを抱かせる世界観を作った店だ。
内装も含め「かっこよさ」を最優先に掲げて訴求しているそういった店が当時は他になかったこともあり本当に印象的だった。
むしろいまでもそこまで徹底してやっている店はない。

19歳というすべてにおいて狭間であり、まさに何者でもない時代にAZZLOに出逢えたことは幸運だったのだと思う。
なにが幸運だったか、それは単なる性的満足のためのフェティッシュではなく、フェティシズムを起点とした多様な文化・芸術的な価値観に触れられたからだ。
即物的ではないこと、これが将来の感性を決定づけたと思う。
まさに現在のDOCTRINEという活動にすべてがフィードバックされ、これによって間違いなく前進できている。

AZZLOの店員達はみんなセンスが良く素敵だったように思う。
そこには偶然ではあるけれど最初に就職した会社の先輩となる女性も働いていたそうだ。もちろんその時にはそんなこと知らないけど。
わたしにRubber/Latexウェアを選んでくれたのは、ある女性店員だった。
アパレル関係に詳しいのかな、とも感じさせるその人はわりと淡々とした感じでラックにたくさん吊されているものの中から選んでくれた記憶がある。
名前など知らないがどこか個性を感じさせるその店員が強く印象に残った。

その後、何年もせずに店は閉店した。
バブル崩壊後の恐慌に向かう日本だから当然だろう。
あのときにあの状況で耐えられるような業態ではなかった。
かつて最初の1着を選んでくれたそのお姉さんに感謝の気持ちを伝えたい、そんな気持ちが生まれる頃にはもうなにも残されてはいなかった。
なぜかすべてを喪った気分になった。

自分自身の価値観、そこには人格や感性や興味みたいなものもすべて含まれるが、それらを培うのは若い頃に得た経験や教養だ。
わたしのタイムラインを振り返ったとき、AZZLOとの出逢いやそこで触れたファッション・カルチャー・アート・フェティシズムが、いまのタイムラインに繋がる分岐を生んだと思う。

フェティッシュに目を向ける関心がある人には、性的ななにかだけじゃなくその周辺にある様々なものにも目を向けてほしい。
関心事の中心からもう少しだけ視野を広げ世界を拡張していくともっと大切なものが見えてくる。
それは、未来により豊かな可能性を生むきっかけになるかも知れない。

追記
かつてAZZLOで接客してくれた店員のお姉さんに再会できました。
遠い過去のことだから確証はないけど、多分そうなんだと思います。
まさにその時に分岐したタイムラインの15年ほど先の未来になりますが…

AZZLOが南青山店に集約されることを知らせる
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