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2022年4月6日(水) 桜舞い散る

芸術学博士のアビイです お元気ですか?
私は昨日、今日、兵庫県の宝塚市にいました
明日には、移動して、都内に出向き、大切な仲間と
会います
今、誰と共に過ごすか、とても、重要な時期です

2017年、闘病中の母を置いて、私が1999年に通訳した、
初代ダースベイダ-役俳優のデイブ・プラウズさんと
イギリスのカーディフで会ったら・・・
「すまん、さっき、何を食べたかも、もう、思い出せないんだ。
頼むから、日本での写真、自宅に送ってくれないか、アビイ」
と、言われ、ショックでした・・・。
最初、私が誰かもなかなか、思い出せなったようで、それでも、
次に、2017年12月に引退式であったときは、満面の笑顔で、
お別れしたんです。遺品は、ほとんど、オークションに出て、
散逸したようですが、日本のあるコレクターさんが、貴重な
サインペンや、IDカードを落札してくださり、ほっとしました。
私は、いつまた、自分の身に何が起きるかわからないので、
もう、ほとんど何も、持たないようにしています・・・。

2017年、アルツハイマー症を患ってしまっていた
初代ダースベイダー役俳優デイブ・プラウズさんと私

5年前は、宝田明(俳優『ゴジラ』主演)は、とてもお元気でした。
キネマ旬報シアターにお招きして、一緒に、トークショーをする前、
赤松和光マーミット社長にご同席いただき、女優で歌手のNao Cumyさんと
みんなで、帝国ホテル系クレストホテルで、会食したんです
雑誌「キネマ旬報」には、大きく、宝田明のデビュー作、第二作も掲載、
ご本人、大喜びでした。
続く『ゴジラ』上映とサイン会には、中村隆夫先生(多摩美術大学教授)、小沢さとる先生(『ロボダッチ』『サブマリン707』も、お招きしました。

亡くした母と
失くした自宅の前で 2017年春

『スター・ウォーズ』、『ゴジラ』、東西の双璧で話題を呼んだ大スターと
自費で、トークショーを開き、足りない資金の一部は、参加してくださった
ファンの方に、サイン会参加費として経費を補助していただいていました。
毎回、大赤字になったのは、映画会社主催の宣伝イベントではないので、さまざま、支障があったからです。何度も、妨害されましたが、ほとんど実現
できたのは、陰で、家族、特に母が支えてくれていたからでした。
 その母を半ば、悪質になった病院に始末される形で死なせてしまったり、
ひどいひとたちにだまされ、何もかも、失ってしまいました。
 しかし、そういう困難なときも、7人の友人が、私の生命とプライドを、必死に守ってくれました。

 チェルノブイリは、ウクライナの地図でいうと、左上、その上にあるのは
ベラルーシという国です。
 巨大なソビエト連邦が瓦解した理由は、コルホーズ、ソホーズで生産した
農作物を輸送する手段に乏しく、形骸化した政府が機能しなくなっていて、
周辺を切り離すことによって、ロシア地域の存続を図ったものです。
 同じことが今、2022年に起きています。
 ロシアが悪いとか、ウクライナが悪いとか、そうではなく、戦争をさせていて、止められないばかりか、武器を送ったり、軍事化している周辺の国は、もっと悪いです。
 そうなれば、軍事力が最も秀でた国だけが、生き残るかと言えば、決して
そうではなく、地球そのものが壊れてしまうと、手塚治虫が、とっくに、
未来の子供たち、つまり・・・、今の大人たちに、訴えていました。
 チェルノブイリは単なる事故ではなく、そこに原発テロと地震が重なり、
データの捏造で、被害が拡大しました。そう、私が断言できる理由は語学の師匠が、岩波新書『チェルノブイリ』(上)(中)(下)を翻訳した人で、
当時から、真相をきいて、後追いの形で今日、伝え聞くことは、ほとんど、
あのときに知っていました。あの新書は翻訳の形を借りながら加筆修正。、
暗号が多く、含まれています。
 同じように、私の師匠は、最後の飛行機に飛び乗り、あの重大事件が発生する直前の隣国に行きました。そして、あの軍隊ではなく、首都にいた学生や一般市民を恐怖に駆られて銃撃したのは、共通語を話せない国境警備隊だというのを間近で目撃していたんです。
「先生、新しい背広ですね・・」
「前のは、着れなくなったんです。戦車を止めるひとも、宿泊先の窓から、
みていましたが、写真は空港で没収されたのが、くやしくて」
タクシー(にあたるもの)にやっと乗ると、横から後ろから、屋根にも、負傷したひとたちが乗ってきて、背広は、すぐ、真っ赤に染まったそうです。
ホテルには、しばらく、軟禁状態で、帰国してから、記事をやはり、暗号で
書いたそうです。
 師匠の名前は、前に書きました。

 私が、こうして、何があっても、生き延びてしまっているのは、生かされ役割を与えられているばかりではなくて、死にぞこなっても、そのたびに、
新しい力が、湧いてくるんです。
 それは、枯れ木のようにみえた、桜のように。
 私の家に大きく咲いていた桜は、切り倒させてしまいました。
 私自身も、切り倒されている存在です。
 それだからこそ、腐り落ちた花びらの溶ける土のように、あるいはまた、アスファルトに落ちて踏まれて乾いて雨で流された花びらのかけらのように
でも、私はみえない存在として、まだ、この世の陰として、誰かの心だけは
守ります。
 それがせめてもの感謝です。

 なんど、死んでも、現れててしまうのは・・・、幽霊の愛情だと、父は、
民俗学者として、教えてくれました(『日本の幽霊たち』日貿出版社)。

イギリスのある試写会にて、2017年

(つづく)


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