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生物は皆等しくロボットで、自由意志はない【私の自然観】

生物はよくできたロボットだなとよく思う。こういうと反論も多く出るだろうが、ひとまず聞いて欲しい。

よくSF映画には未来のロボットや他の惑星から落ちてきたテクノロジーが出てくる。私の中の"生物"はまさにそんな感じで、人智を超えたロボットなのだ。天空の城ラピュタのロボットといえばイメージしやすいだろうか。

この生物観は全ての生物が分子・原子でできていることに根拠の一つがある。つまるところ物理法則に従っているだけで、その点で生物と石ころに特別な差異はない。

またこの生物観に深く関わる議題である「自由意志はあるのか」に触れておきたい。

私は"自由意志はない"と思っている。

そう考える理由としてラプラスの悪魔的な自然観がある。具体的には「宇宙の全ての構成物質の全状態がわかれば、未来は一意に予測される」と考えている。

だからこそ自分が次の瞬間に何を考えてどう行動するのかも、全ては既に決まっていることだと思っている。つまり、ヒトに、あるいは全生物に自由意志は無く、全てロボットだと思っている。

ちなみにこれは悲観的な考えではない。究極的には自由意志はないと言っても、通常暮らしている分には自分で意思決定していると思い込んで生きている。人間の手の届く範囲では、世界を粗視的に見ることで自由意志を想定できる。

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最後に私の研究の視点を加えて終わろう。

私は生き物の行動を研究しているが、単純な生き物でも結構複雑なことができるただその行動を見る限りはとても単調でロボットのようだ。私の研究対象の線虫も、エサがあれば近付いたり適当に動き回ってたまたま嫌いな匂いにぶち当たれば避けたりと行動はいたってシンプルだ。それにも関わらずエサの有る環境・無い環境を記憶できたりする。

ヒトはそれがさらに複雑になったにすぎないと私は思う。

ただしヒトは一つ次元の高いことができる。例えば文化の継承がその一つ。遺伝子を通じた継承ばかりだったところが、ヒトなどでは遺伝子を超えた文化として継承できるようになった。*ちなみに経験が遺伝子を超えて子孫に伝わる例は先に挙げた線虫を含めて様々報告されているが、ここでは個体間のコミュニケーションが必要なものを文化と呼んだ。

しかしいくら文化を築けようと、やはり高性能ロボットの範疇は出ない。

この辺りの自然観は、線虫という単純な生き物の行動を研究しながら、ヒトである自分を観察できるからこそ思うことだろう。同じ研究者でも例えばマウスを扱う人からは違った思想が聞けることと思う。

機会があれば議論してみたい。

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