気管支鏡検査:ドタバダ帰宅劇


11/13/2020に、気管支鏡検査を受けた。主治医からは「一泊入院予定ですけど、日帰りでも、なんとかなるでしょう。」と述べていた。

入院して検査時間を待つ。担当医が来室、検査の説明を聞く。そう言えば、検査の細かなことを、何も聞かず、もしかしたら何も聞こえず、今日を迎えていたようだ。

どうやら凍結生検ををするとのこと。この病院では2,3例の実績、つまり新しい検査法だとか。リスクを色々聞いたが、やらない選択肢はない、つまりやるしかない。

私は整形外科医なので、気管支鏡検査には精通していないが、研修医の時、そしてX線透視室の横を通り過ぎる時、この検査を見かけたことはある。正直、患者さんは検査中、苦しそうに咳き込んだり動いたりしていて、中々厳しい検査だなという印象があった。

自分の検査は、というと、全く記憶なく、気がついたら終了していた。鎮静をかけてもらっての検査、それに用いる薬剤には、逆行性健忘を促すものが含まれている。つまり、苦しかったとその時感じていたとしても、終わっている時には忘れているということ。なので、苦しんだ記憶無し。喉も痛くないし、おそらく気胸も無く、苦しい記憶も無かった。

「無事終わりました。」主治医の声に対して、私は感謝を述べて、続けて
どうしても、手術でがんを切除できないんですか。」と伝えた。でも、答えはできません、だった。

憎いがんが、身体の中にあることが、許せなかった。もちろん、私は医師だから常識として知っている、全身に転移しているStage 4の病期では、切除する利点は無く、むしろ体力の喪失などにより死期を早めることになり得る、と。でも、でも、医師として治療は科学的根拠を持って進めるべきとは理解しても、患者になれば違う思考が働く。やっぱり一回は体内からがんが無くなって欲しい、強烈にそう、感じた。

がん Stage 4は死亡予知宣告だと捉えている自分にとって、その診断を受けた1,2日後に独り病院で夜を過ごすことに対して、抵抗を強く感じた。自宅に帰りたい、泣いても落ち込んでも、家族と時を過ごしたい、病院での独り宿泊は拷問、無理でしょう、と。主治医も帰宅しても良い、と言ったし、18時くらいに、帰宅しますと言って病院を出た。

鎮静薬のせいか少し眠かったが、歩行はできたので電車で帰宅することにした。帰宅途中、体の異変に気がついた。なんだか寒気がする、いや、寒い、身体が震える。マフラーして、小さくなって耐えた。でも、悪寒、震えは止まらない。だめだ、耐えられない。とにかく、一回電車を降りよう。

自宅近くの乗換駅で降りた。「病院に戻ろう!」と妻。そんな、こんな体調で独りで病院で過ごすなんでたまったもんじゃない。「タクシーで帰る!!」

駅員が、酔っ払いの痴話喧嘩かと、不審そうに酔ってきた。イヤイヤ違う、こっちはがんの検査の後、退院して体調が良くなく…、まぁ、全く伝わらない。

でも脚に力が入らず、歩行できない。駅の改札で、妻と声を張り上げ問答を繰り返した。駅員さんが心配そうに近く。とにかく、車椅子に乗って、タクシー乗り場へ。ガダガダ、ブルブル、泣きそうだった。でも、帰宅したかった。そして帰宅。

ベッドで布団にくるまり、電気毛布をひっ張出して暖を取った。熱は測っていないが、とにかく解熱剤を飲んだ。なんとなく、少し落ち着いてきた。心のざわつきは、体のざわつきにより、かき消された。そして眠った。


この日は脳造影MRIも行った。そして明日は、PET CT検査。転移巣探しも同時進行で、続く。検査は、認めたくない真実探し。

でも、生きたい。生きる道を探すため、検査する。


#がん  #肺 #Stage 4 #医師 #スポーツ #気管支鏡




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?