病気を伝える責務 期待と過信

診断もついた。治療も始まった。私のすべきことは、私の現状をお世話になっている方に伝えること、になる。

がん患者として病を知り治療始めて、それでも医師として通常通り診察して手術して、という日常を続けられるかどうか。おそらく個人差があると思う。でも、明るく前向きに、時に思慮を重ねて患者の診察を行い、数年後を見越して手術の執刀に関わることは、その時の心身の状態では出来なかった、いや、やるべきではないと考えた。

秋の空や山の天気より大きく変動する、自分の心をコントロールすることは、本当に難儀であった。なので、仕事を無期限で休むことを選択した。でも、手術予定も外来予約も沢山入っていた。

勤務先の病院では、「後は心配しなくても連絡はしておくからとにかく休んで。」と上司が言ってくれた。多くの業務を引き継がせてしまうになったが、お言葉に甘えた。感謝しかない。
また、研究日や土曜日に診察をしているクリニックも、すぐに「大丈夫、治療に専念して!」と言ってくださった。経営にもクリニックの信用にも関わることではあるが。。本当に、寛容なお言葉に救われた。そして、人に恵まれた。

でも、患者さんに多大なるご迷惑になることは容易に想像できた。どうして責任を取るべきか、良いか分からない。  

実は来年度から、転籍して大学病院での勤務が決まっていた。50歳になっなら、医学生や研修医の教育に関わりたいという夢を抱いていた。この病状で、タフな大学病院で教育、診療、研究に関わることは、とても無理な選択肢であった。丁重にお断りをするしかなかった。
きっと、私のための人事により、巻き込んだ先生方がおられたかもしれない。本当に、申し訳ないことだと認識している。

進行期のがんとの戦いは、その病状だけではないことを自覚した。生きる死ぬ、だけでなく、人生の変更を余儀なくされ、その結果多くの方に迷惑をかけてしまう。

この部分の整理が、想像以上にタフだった。
お詫びばかりしていた。がんになることは、お詫びをすることなんだ、と。

仲間にも患者にも期待されていた、でもがんになり、それを裏切った。
1番自分に期待していたのは、僕自身だったのかもしれない。

過信。自分を過信してはいけない。

#がん #肺 #医師 #スポーツ #期待

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