集中治療体験 死ぬこと以外はかすり傷

右肺の手術して1週間後、自分は再入院した。低ナトリウム血症の診断。呼吸器内科に入院したが、呼吸器外科の先生も毎日回診してくれた。そして実質の主治医はN先生、私の大学ラグビー部の1年後輩で、バリバリの腎臓内科医。「おそらく原因は術後の強い痛みによるストレスでのホルモン不適切分泌によるもの(SIADH)でしょう、でもちゃんと調べてちゃんと治療しなくてはならない、集中治療室に入りましょう。」と言われた。でも、手術後に経験した点滴して、チューブ入れて、心電図つけて、の拘束が思いの外辛かった。嫌だ、病棟で1日様子見てからで、とお願いして、最初の1日は病室で過ごした。

とはいえ横になるとやっぱり背中が痛い。寝れない。結局座ったり立ったりで一晩過ごした。もう空元気も出なくなった。そして採血したらNaは116まで低下していた。ちゃんと補正しなければ意識障害になるし、急に補正すれば脳障害が起こる。N先生から「絶対ICUに入って。」と言われて、ハイとしか言えなかった。そして夜にICUへ移動した。

そして、尿道カテーテルを入れた。これが痛かった。左手に動脈ラインも入れた。研修医が挿入しにきたので男気を出して「練習のつもりで頑張れ」と行ったら30分やって2箇所以上失敗して、今でも左手に冷感が残っている。でも、こんなこと大した問題ではない。ベットはエアマットになって、少し楽になった。麻酔科の先生が硬膜外(脊椎への)ブロック目的にチューブを入れてくれて麻酔が始まった。痛みが激減した。夢のようだった。でも、点滴が左右の腕に入り、尿道カテーテルが入り、心電図をつけて、また拘束されるようにモニタリングが始まった。動くとどこかが引っ張られる、これが本当に苦手だった。モニターの音、点滴ポンプの音、精神的に病んでしまう方がおられることを、身を持って体感した。

そして1、2時間毎の採血、補正速度の変更、まさに集中治療をしてくれた。回診に来た若い先生が言っていた。「N先生は普段どんな患者さんが来ても大丈夫そうにしていたけど、今回は若い先生を皆集めて「「絶対治すぞ」」と皆に気合を入れていた、」と。定期的なデータの変化に、即時的に対応をして、回診やメールをくれていたN先生、私の前ではいつも通りの後輩キャラであったが、その裏で熱く治療してくれたんだなと。ラグビー部のキャプテンだった彼を思い出し、感謝した。涙が出た。

大学の後輩の脳外科のI先生は、前回の入院時も、今回の入院時も、山のように水やポカリスエットを買って病室に差し入れしてくれた。それを内科の先生が見て、「こんなに飲んだら低ナトリウム血症になるし、良くなるわけないですよ!」と怒られた。イヤイヤ、これらは差し入れで俺は飲んでないんだけど笑 嬉しかった。

そして、麻酔の先生も、外科の先生も、内科の先生も何度も回診に来てくれた。ICUで熱が出て、新型コロナ感染疑いで隔離扱いになったこともあった(陰性)。だんだん良くなった。ICU4日目の最終日、モニターも取れて、初めて便意がでてトイレに歩行した。この開放感、感激した。あー、生還したんだ、まさにそう実感した。

ICUを出た。嬉しかった。でも、体力を戻さなきゃと思っても、室内移動だけでも呼吸が苦しくなる。焦った。呼吸苦が止まらず死ぬかと思った。おそらくパニックだったのだろう。冷静に看護師さんに「大丈夫ですよ」と言われても苦しさが止まらず、高校の後輩の研修医を呼んで「動脈採血して酸素分圧調べて、安心させてくれ」とお願いした。彼にその採血方法の経験がなく、私が指導しながらの私自身の動脈採血笑 良い思い出だ。

少しずつ歩けるようになった。右肺術後の肋間神経麻痺で呼吸がうまくできないけど、でも歩ければ良い。家族も毎日来てくれた。息子も来てくれた、会話はあまりないが、1時間部屋にいてくれた。

生きていれば、今は良い。そしてたくさんの濃密な体験、すべて先生方、看護師さんの助けと、妻や家族の支えがあったから、無謀とも言える手術の山を、遠回りしながらも越えれた。

人生の醍醐味は逆転劇にあり。そして、死ぬこと以外はかすり傷。

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