怪談「サガリの部屋」

私の友人が体験したお話です。

その子は数年前、大学進学と同時に田舎から大阪に出てきて、初めての一人暮らしを始めました。

女の一人暮らしで、最初はいろいろ不安もあったそうですが、半年もすると完全に慣れ切って
自由を謳歌していました。

ただ1つだけ、住んでいるマンションに
気になる点があったといいます。
それは、1つ隣の部屋、504号室の玄関扉がいつも10cmほど開いている、ということでした。

504号室はエレベーターのある方向と逆側にある
角部屋で、友人の部屋はその一つ手前、

開いているのが何日かに1回であればそれほど
気に留めることでもないのでしょうが、
そのドアが閉まっているところを
見たことがないほど、本当に四六時中
開いているのだと言っていました。

ただ扉が開いているだけ、といえばだけ
なのですが、その隙間からはなんとなく
得体のしれない不気味さを感じたといいます。

しかし、人間、怖いもの見たさ、臭いものほど
かぎたくなるもの。
そんな不気味な隙間を、友人は家に帰る度に
意識していたそうです。

そんなある日のことでした。
いつも通り、家に入る前にちらりと
お隣の玄関扉をみた友人は、
一瞬ドキッとしました。


あの隙間から、ニコニコと張り付いたような
笑顔を浮かべた齢80歳ほどのおじいさんが
無言でこちらを見つめていたのです。

一瞬は驚いた友人でしたが、それも束の間。
お隣さんはこんな“人”だったのか、と幽霊の
正体でも見破ったかのような気持ちになったと
言っていました。

安堵した友人が「こんにちは」と声をかけると、
そのおじいさんは表情を変えないまま
「いつもありがとうねぇ」と返してきた
そうです。

感謝される覚えのなかった友人が返す言葉に戸惑っていると、おじいさんは、
「この部屋はね、サガリやから。サガリやからね、こんなことになっちゃたの。」
と、言ってきたそうです。

言葉の意味が理解できず、友人は苦笑いを
浮かべることしかできませんでした。

「あんたも、なりたいんやろ?」

続けて問いかけてきたおじいさんの表情に、
友人の心臓は大きく脈打ちました。

先程までの笑顔が消え、今にもこぼれ落ちそうな
ほどに目を見開きながら、真顔でこちらを
じっと見つめていたのです。

「お前も、なりたいんやろ。興味持ってんねやろ。な?そうやろ?」

最初は穏やかだったおじいさんの口調は徐々に
荒くなっていきました。

それでも、10cmの隙間から出てくることは
無く、顔だけをこちらに向けて声を
荒げ続けました。

その異常さに恐怖を感じた友人は、急いで自分の
部屋の鍵を開け、中に入りました。

さっきのおじいさんは何だったのか、そもそも
本当に人間だったのか、バクバクと脈打つ心臓を
抑えながら、様々な考えが友人の頭の中を
巡りました。

気が付くと、先程までのおじいさんの声は
もう聞こえておらず、念のため、504号室側の
壁に耳を押し当てても人のいる気配を
感じないほどに物音ひとつ聞こえなかったと
いいます。

翌日、おそるおそる外に出て、友人は504号室の
扉を確認しました。
昨日のおじいさんはいませんでした。
それどころか、扉が完全に閉まっていたと
いうのです。

安心して大学の講義へ向かおうとしたその時、
ガチャリ、と背後から扉の開く音が聞こえて
きました。

昨日のことを思い出し、友人の心臓が
跳ね上がります。

しかし、意外にも背後から聞こえてきたのは、
女性の「おはようございます」という挨拶でした。

友人は振り返り、声の主を確認します。
そこには、20代半ばくらいのお姉さんが
立っていました。

「あ、おはようございます…」

おずおずと返事をした後、昨日のことについて
聞こうか聞くまいか迷っていると、
お姉さんの方から「大丈夫ですよ」と言われた
そうです。

「大丈夫…?」思わず友人が聞き返すと、
お姉さんは淡々と答えました。

「この部屋はサガリなんで、そういうことって
よくあるんです」

「サガリって何なんですか?」

「詳しくは分かりません。でも、答えなければ
大丈夫なんで」

そう言うと、お姉さんは軽く頭を下げてツカツカと階段を降りて行ってしまいました。

「答えなければ大丈夫なんで」。
友人は、先ほどのお姉さんの言葉を頭の中で
反芻します。

「答えなければ大丈夫なんで」
答えなければ?何に対して?もしかして…。

考えがまとまりかけたとき、友人のすぐ後ろから
くぐもった老人の声が聞こえました。

「あんたも、なりたいんやろ?」

瞬間、一気に寒気がし、脱兎のごとく1階まで
階段を駆け下りたといいます。

そんなことがあった後も、資金面などが理由で
引っ越しが難しかったため、気味が悪いと
思いながらも友人は大学在学中、その部屋に
住み続けました。

以降は、隣の部屋の扉が開いているということも
無くなり、本人は何事もなく暮らしていました。

ただ、あのとき「サガリ」の話をしてくれた
お姉さんは、あの日からおよそ1年後に
行方知れずになったそうです。

一時期は警察も来たりして騒ぎになったよう
ですが、彼女はいまだに見つかっていません。

友人は、この話の最後に小さく
こう言っていました。

「あの人、まだあの部屋にいるんじゃないかなぁ…」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?