身投げ春

 新社会人3日目、私はすし詰め状態の満員電車に揺られながら会社に向かっていた。まだ4月3日だというのに、脇汗が目立ってしまうくらい蒸し暑い。桜が咲き、春の陽気で満ち溢れる季節でも通勤は苦痛だった。小川に桜の花びらが流れていたが、風情とはとても言えないくらい汚らしい。気が付くと降車口から最も遠い場所で、歯のかけたオジサンに挟まれていた。息苦しさを感じたため目線を上にすると、自動ドアの上にある電光掲示板に「JR山手線外回り・上野・東京方面行きは人身事故のため電車が遅れております。」と表示されていた。誰かが電車に飛び降り自殺したのだ。自分とは関係ない距離で存在していた物語が、死によって眼前に示される。私は電車で人身事故を見るたびに、亡くなった人の人生を想像してしまう。ビジネスで失敗したのだろうか。恋人に振られたのだろうか。ブラック企業に勤めていたのだろうか。なんにせよ、人生に希望を見いだせなくなったことは確かだ。そして、亡くなった方は死ぬ直前に何を思っていたのだろうか。死ぬ瞬間まで人生に苦しめられ、恐怖で足が震えていただかもしれない。精一杯、人生最後の勇気を振り絞って黄色い線を跳び越えたのだろう。けれど、もしかしたら恐怖のひとかけらも感じなかったのかもしれない。彼(彼女)は、目の前を通過していく死に身を任せただけで、コンビニに行くぐらいの感覚で身を投げたとも想像もできる。何も考えない何も感じない状態で、死んでいったのかもしれない。私はせめて後者であってほしいと願う。他人の人生も、自分の人生も、今際の際で後悔を感じていてほしくない。

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