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由良川を旅してきた話【分水嶺企画_日本海側】

 みなさんこんにちは!土木学会学生小委員会です。

 みなさんは川がどこまで続いているのか気になり、川の源流まで行ってみようとしたことはありませんか?
 私は小学生のころ近所を流れる川を源流までたどってみようと自転車で旅に出たことがあります。この企画はそんな一つの川をたどるという挑戦を本気でやろうとしたものです。
 本企画では、2023年11月11日から12日にかけ、本州一低い中央分水界である兵庫県丹波市の水分れ公園を出発点として、水分れ公園で参加者を2手に分け、それぞれ太平洋側(加古川流域)・日本海側(由良川流域)の河口を目指ざし、その道中で、土木構造物を探し旅をしました。

加古川流域と由良川流域、紫線は中央分水界

 本記事では日本海側(由良川流域)へ旅をした模様をお届けします。


太平洋チームの記事はこちらから↓↓


1.目指せ、河口を!

 日本海側へ進むこととなった私たちは、水別れ公園から北上し、由良川の河口を目指すこととなりました。分水嶺から河口である日本海まで約70kmの行程です。

実際の行程とは少しずれがあります。

 まず、北へ進み福知山の宿で一泊することとしました。翌朝から河口を目指して出発します。

2.福知山市の治水ソフト面

 最初に訪れたのは福知山市治水記念館。福知山市の水害に関する記録や記憶を展示する、治水のソフト対策を担う施設です。
 館内では職員の方が付き切りで展示内容を解説してくださいました。地元の方の体験談から土木のコアな部分まで丁寧に教わってきたので、本記事でいくつか紹介します。

福知山市治水記念館

(1)福知山で水害が発生しやすい理由

 福知山では過去に多くの水害が発生しました。水害が発生しやすい理由の1つとして地形的条件が挙げられます。福知山市街地は周辺よりも標高の低い盆地であり、東から由良川本川、南から土師川が市街地をめがけて流れてきます。

福知山市周辺の地形
(背景図は地理院地図 色別標高図)

 河川合流部では諸量の異なる流れがぶつかることから水位が上昇しやすいことが知られており、実際に令和元年台風の際には合流部付近で多くの堤防が越水により決壊しました(下記事参照)。

 また由良川は福知山で急激に勾配が緩くなります。(下図参照)

由良川の縦断勾配
(国土交通省福知山河川国道事務所HPより)(https://www.kkr.mlit.go.jp/fukuchiyama/river/manabu/aramashi/aramashi_2.html)

 更に福知山より下流では両岸が山に挟まれ、川幅が狭くなります。

 以上の由良川・福知山の地形条件をまとめると、①合流部②勾配が急に緩くなる③すぐ下流で狭くなる、の治水悪条件の3コンボ。
 これを高速道路の車の流れに例えると①ICやJCTの合流箇所で、②下り坂から平坦に変化し、③車線・幅員が減少する。そんな場所では渋滞(水位上昇)が起きやすいことが想像できます。

(2)水害の被害を軽減するための家庭での取り組み

 福知山市民は昔から多くの水害を経験しているため、水害時に被害を最小限に抑えるためのノウハウを持っています。その1つが、"タカ"。
 昔からある住宅では、多くの家庭にタカと呼ばれる仕掛けがあるそうです。建物の1階に置いている大事な家財を守るために、このタカに付随した滑車を引っ張て上階に移動させるためのものです。

荷物を上階に運ぶための"タカ"

 近年の建造物にはこの仕掛けは少ないそうですが、それでも大雨予報の際には自動車を高台に移動させておく、高価な家電は2階に設置するなどの対策を実施する地元住民の方は多いそうです。

3.福知山の治水ハード面

(1)蛇ヶ端御藪(明智藪)

 戦国時代、福知山城下町を開くにあたり堤防の建設と河道付け替えが水害対策として実施されました。この時の名残として現存するのが蛇ヶ端御藪。明智光秀が築いた説もあることから、明智藪とも呼ばれます。洪水時に水の流れを弱め、背後の堤防を守るための藪です。
 このように生態系を活用した防災・減災手法はEco-DRRと呼ばれます。洪水時には防災のための機能、普段は生物の生息場としての機能など、多面的な効果をもちます。

福知山城下町を守る"明智藪"、流向は写真左奥から右前

(2)岩沢堤(福知山大堤防)

 1909年に福知山城下町を守るため、福知山大堤防と呼ばれる土盛り堤の表面に石を張った堤防が建設されました。しかし1927年に発生した北丹後地震により被災したため、復旧として強固に造られたのが"岩沢堤"。表面をコンクリートで覆うとともに、地中に鋼矢板を打つことで浸透対策が施されているようです。

福知山城下町を守る"岩沢堤"、写真右側が川表

(3)堤防神社

 福知山市の御霊神社の境内に建立されている堤防神社。堤防を御神体とするほど人々が堤防に対して感謝の気持ちを持っているようです。

堤防を御神体とする"堤防神社"

4.旧大江町で構造物の見学

 福知山市内の由良川に関係する構造物・施設を一通り見学した私たちは、京丹後鉄道に乗り由良川を日本海側に向け、進んで行きます。

 まず下車したのは公庄駅、ここから徒歩で駅周辺にある構造物をめぐっていきます。

(1)増水時に沈む在田橋

 みなさんは沈下橋というものはご存知でしょうか。沈下橋とは、河川の増水時に川に沈んでしまうように設計された欄干のない橋のことです。高知県の四万十川にあるものが有名ですがこの由良川にも何ヵ所か存在しています。その中の一つである在田橋を見てきました。

増水時には川に沈む"在田橋"

 橋を渡ってみると左右にあるのは頼りない細いロープのみ。向かいから車が渡ってきたときにはかなりの恐怖を感じました。私たちが普段渡っている普通の橋ではできないなかなかスリリングな体験でした。

在田橋を渡る

(2)北丹鉄道トンネル群

 次に訪れたのは北丹鉄道のトンネル群。かつて由良川沿いに敷かれていた北丹鉄道の現存する数少ない遺構です。北丹鉄道と由良川にいったい何の関係があるのか疑問に思われる読者の方も多いと思われますが、実は関わりがあるのです。
 この北丹鉄道が建設された目的の一つが、由良川の水運を代替するためなのです。多くの物資を輸送する手段が自然に左右されやすい舟を使ったものから安定して輸送できる鉄道に移り変わることは、自然な流れであったと言えます。このように由良川と北丹鉄道は物資の輸送という経済的な結びつきがあり、このトンネル群も由良川に関連する土木構造物と言えるのではないでしょうか。

北丹鉄道トンネル群

 さてトンネル群に話を戻します。このトンネルは二つ残されており、現在は歩道に転用されています。歩道として整備されたときに照明の設置や壁面のコンクリート化などの改修が実施されたと思われ、当時のままではないようです。しかし、入ってみると片側のトンネル内にあった作業員が退避するためであろうスペースがコンクリートに覆われず残されており、そこでは当時のものと思われるレンガ積みの構造を見ることができました。

作業員の退避場所 
当時のままと思われるレンガ構造が見える

 公庄駅に戻り列車に乗ってさらに北上していきます。一駅先の大江駅で下車しました。ここから鉄道は由良川から離れて行ってしまうため、ここからは川に沿って走るバスに乗って河口を目指します。

 ここでバスまでかなり時間があり、ちょうどお昼時だったのでご飯を食べることに。

鬼そば

 大江町の名物である鬼そばを頂きました。真っ赤な盃に盛られたなかなか見慣れない真っ黒なお蕎麦、そして山菜が盛られた一杯でかなりのインパクトがあります。

(3)市道崩壊箇所

 まだまだバスまで時間があったため、バスを走るルートを歩いて先に進むことに。
 歩いていると突然現れたのは通行止めの表示とバリケード。

 昨夏の台風7号による影響で陥没してしまったようです。

道路が陥没し、地中の配管が露出している。

 周辺を観察してみると、道路の下には用水路のようなものが通っており、この水の量が増えて、土壌を浸食し陥没してしまったのでしょうか。

赤丸が市道崩壊箇所

 ここで、バスが追い付いて来たので、バスに乗りさらに川を下って行きます。

乗客は我々一行のみ。
乗降客がほぼいないためか国道をかなりの速度で飛ばしていく。

 ここでバスから由良川に架かる沈下橋、三河(そうご)橋を発見。時間の都合上直接訪問することは叶いませんでしたが、見ることはできました。

バスから見えた三河橋
先ほどの在田橋よりもさらに細く感じる。

5.河口に到着

 四所駅で再度鉄道に乗り換え、由良川沿いを走りながら最終目的地の由良川河口を目指します。

 しばらく走っていると河口付近で由良川橋梁を渡りました。右手側には日本海が見えますが、駅がないので一度通り過ぎることに。最終目的地の河口はもうすぐ!

列車内からの由良川橋梁

 河口の最寄り駅である丹後由良駅で下車し、徒歩で河口を目指していきます。

(1)ついに河口へ

 駅から歩くこと約十分、ついに由良川河口にたどり着きました!!

 福知山を出発してから約5時間にも及ぶ行程も終わり、ついに日本海へたどり着くことができました。

日本海を望む

(2)選奨土木遺産、由良川橋梁

 由良川河口に到達し一旦は旅は終了したと思われましたが、ここ由良川河口には選奨土木遺産にも指定されている有名な土木構造物があります。
それは、先ほど鉄道で渡った由良川橋梁です。

由良川橋梁

 由良川橋梁は1923年に竣工した鉄道用橋梁です。SNSでも映えスポットとして有名なので、見たことがある人は多いのではないでしょうか。全長は約550メートル、水面から約3メートルの位置に架かるシンプルなプレートガーダー橋は、その橋の赤い色と水面の青のコントラストが美しいとされています。今回は残念ながら天気が悪くその美しさを十分に堪能できませんでしたが、プレートガーダー橋としてはかなりの長さであるこの橋の迫力に圧倒されました。

6.おわりに

 出発地点である水分れ公園から約70km、分水嶺から河口まで川を下るという途方もないと思われた旅も何とか当日中に日本海へたどり着くことができました。一つの川に沿って河口まで下る中で、河川には非常に多くの土木構造物が存在し、それらは周辺に住む人々を水害から守ったり、川を渡したりなど多くの役割を果たしていると改めて実感しました。またそこで生活する人々の暮らしなど文化的な面にも触れることが出来ました。
 皆さんも是非近くにある川を辿ってみてください。普段何気なく見ている川を新たな視点から見ると、人々の生活を支える様々な土木構造物に出会え、さらに面白く感じられるはずです。

分水嶺企画、日本海側参加者
・佐藤 駿次
・水谷 航
・郷原 一樹

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