9)「二十年 辛抱しなさい。その子が大人になった頃、 又 日本と仲良くなるからね。」
前回の記事
壁の言葉「此の恨 千歳に忘れず」
一部軍人の独りよがりの頭で考えられた事が歯止めのきかぬまま暴走して 取り返しのつかない悲惨な戦争を何年もしてしまったのです。
戦争に聖戦などありません。
何百万人を不幸のどん底に叩き落し 大切な国土を原爆にさらされたり 余りにも大きな代価を拂わされました。
私は中国の人に心から謝り度いと思ってゐます。
「此の恨 千歳に忘れず」と田舎の一家の壁に老婆が血書きしてゐたと云う話を聞いた時 グサリと胸を突き刺された思いでした。
でも中国人は一人一人の庶民を決して責めはしませんでした。
新京の大同公園を子供の手を引いて物売りからの帰途
上品な中年の中国人から話しかけられ、
老黒山から来た事 今の生活状態等話してゐたら、
「二十年 辛抱しなさい。その子が(長男を指して)大人になった頃、
又 日本と仲良くなるからね。」
と慰めてくれた事等 今更なつかしく想いだされます。
残留孤児
或る日の事、子供と公園で一服してゐると 二人の中国人青年が寄って来て 長男を「よい子だ くれ」と云うなり抱いて走り出したので、私は大声で叫び乍ら一生懸命後を追って走りました。
私があまり大声でわめき乍ら走るので青年達も諦めて、子供を地上に降ろしてくれました。
長男を抱くと途端に坐り込んで足がたたなくなり泣いてしまいました。
でも取り返してよかった
若し、一瞬でもひるんでゐて連れて行かれてしまったら、それからをどんなに辛く悲しいものになった事かとぞっとします。
讀賣新聞大陸の孤児の記事を読む度に 心ならずも子供を残して来られた人達の心が痛い程わかります。
三十七年たっても戦争は終わってゐないのです。
この人達が求める肉親と再会出来るまで
そして 育てて下さった中国の親達が笑って暮らして貰える日が早く来る様に
防衛〇〇(※判読できず)を呼ぶより先に全力投球で万全の施策を実行するのが政府の責任です。
ここまで
7月24日
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