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15年間発達障害の支援に関わってきて感じる「子育てに苦しんでいる人」から卒業する人としない人の差

「愚痴を言いすぎると、それに自分で溺れてしまう」と私は思っていて、「酒は百薬の長」「されど万病の元」に通じるものを感じています。
これは、『愚痴との距離感』が、子育ての苦しみから抜ける人と抜けない人の差に関わっているなぁ、と最近、改めて思うからなのです。

こんなことを書くと、「あなたは、心理などの専門職なの?」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、立場的には当事者の母であり、自分も当事者要素をたくさんもっている(診断名はついてません)という立場ですので、私の位置に名前をつけるとしたら「ピアサポーター」ということになります。

また、ちょっとした縁で、発達障害児・者を支援する団体で昨年まで運営スタッフとして12年ほど働き、その後は途中から就任した理事としての活動を続けてきました。

そのため、相談を業務ですることはなかったのですが、「親として、当事者としてお話を伺う」機会はたくさんありました。
また、2015年から自身で「子育てに困り感を持つ子どもをもつ親の会」を主催しているので、こちらでも月に一度の茶話会を開催しているので、たくさんのお母さま方のお話を伺ってきました。これらの関わり方で、どのくらいの人数の方との出会いがあったのかは適当な数が出せないのですが、いろいろな講座や茶話会を通じて、千人近い数の方の子育ての話を(程度はまちまちですが)聞かせていただと思います。

こうした活動+自身の体験から学びから、私は「子育てに苦しんでいる人」から卒業する人としない人の差は、『愚痴との距離感』が違う、という持論を持つようになりました。

発達障害や不登校に悩む保護者の方や、そのお子さんたちは、とてもとても深い悲しみや苦しさに苛まれているため、非常にストレスフルです。

それなのに、ご本人たちは、「もっともっと頑張らないいけない」とさらに自分を追い込んでしまう方がたくさんいます。まずは、立ち止まって休みましょう…といいたくなる方、いっぱいです。

でも、できないんですよね…。
子どもは待ったなしで育っていくし(何かとやらかすし)、周りからはいろいろ言われちゃうからです。
ストレスフルの人って、大きなケガした人と同じようにケガを癒すケアが必要な方たちなのに…です。

怪我をしたら、
「どこをどう怪我しているのか、
その怪我はどんな形で心身に影響を及ぼしているのか等を確認して、
それから適切に手当して、回復するまで安静にする」というケアをすると思います。
でも、子育てに困ってたり、苦しんでる人たちの大多数は、こうったケアをしていないです。

怪我は、それなりに大きければ、お医者さんなどの専門職の方に診てもらったり、リハビリしたり、時には社会的な支援につながるでしょう。
しかし、子育てのストレスを抱える方の多くは、親だから我慢して当たり前だと思ったり、「このくらいなら大丈夫だろう」って頑張ってしまったり、心のケアにつながったとしても、相性が合わなかったり…等々で、自分に適した専門職と繋がれないことでより拗らせてします。

その結果、やっぱり自分が我慢すると丸く収まる…と思ってさらに頑張ってしまったり、(私は)心が痛いの!この痛さどうにかして!!と辛さを声高に叫んでバタバタ騒いだり、逆に、じーーーとガマンしている、などの自身のパターンに沿った対応しかできない人がいっぱいなのだとも思います。

ですが、親の自分がこの心理状態だと子どもをダメにしてしまう…と、なった人たちは、
もう自分でやるしかないよね! 
とりあえず自分で何とかしよう! 的に、公的や医療的な支援以外にも、いろいろな民間療法などに手を出すようになる人たちもいます。
私もそうしたタイプの1人です。

こうした人たちは、とりあえず、自分でもなんとかしようとします。自分だけでなんとかするのではなく、人の力を借りて、なおかつ、自分でもそれを活用するための努力をしています。

どの療法が自分に向いているか決めるために、自身で怪我の状態の確認を、「どこが苦しいのか、何にくるしいのか」に目を向けていきます。
現状確認なしで、とりあえずやってもらうことから始める人もいますね。
親の会とかに主体的に参加して、人の話をよく聴き、自分の考えを発信する方とかは、この辺りですかね。

こういう動きをすることで、自分の苦しいことを、人に話したり説明したりすることをはじめます。

すると、ご本人にも、それがなぜ苦しいのか、そもそも「痛い」のか「かゆくて苦しい」のかが、よく分かってないことなどを理解し始めます。
小さいお子さんが、自分の状態を上手に説明できないのと同じで、「子育ての苦しみを言葉にすること」に慣れていないからであったり、そもそも「自分の本音につながることを避けている」人も多いため、概ねの人は、自分の状況を適切にお話することに困難さを感じられるようです。

私もそうでした。
「自分のえぐい感情とか見たくないし、いうなんて恥ずかしいじゃーーん」ですから(笑)

ですが、これやらないと先に進みません。
人に話すことが苦手な私は、長らく「気持ちを書く」ことをしてきましたが、言葉を口から放つこととは質が全然違うので、やっぱり人に話すことって大事なんですよ。
逆の言い方をすると、これをすると、先に進みます。ぐっと、事態が進んでいくんです!

余談になりますが、ヒトの話を聞くことも大事です。
でも、これもね、嫌がるんですよ~。いろんなこといって嫌がるの~。イヤなのわかる~~、けど、自己理解するために、ヒトの話を聞くって超大事なのにぃぃ。です。

もともとご自身の話をするのが上手人がいますが、課題の深さに応じて深い自己理解も必要になるため、やはり練習は必要です。
自分のことを話すこと、これって、繰り返すうちに上手になります。

いま、するりと「自己理解」と書きましたが、愚痴って「自己理解」のために使えるツールです。どんな形であっても、自分のことを自分で話すことは、「自己理解」につながりますからね。

この「自己理解」が必要なのは、人が自分の人生を心地よいものにしていくには、どんな人にも自己理解が不可欠だからです。とくに、発達障害のある方は、この「自己理解」が難しかったりするので、自身の特性を理解しながら「自己理解」をしていくことが大事になってきます。

その最初の段階で自分の本当の気持ちにアクセスしやすいのが、「イヤだ! やりたくない!」などの嫌いなことを知ったりその理由を口にすること、イライラしたりモヤモヤしたことが何なのかを話すことなど、つまり愚痴が糸口になります。自己理解は、「本音理解」が進むほどに深まっていき、「生きやすさ」につながりますから。

だから、愚痴は言っていい。てか、言った方がいい。
でもね、でもね、愚痴はプロセスだと捉えることも肝要です。
最初はそんなことしらなくていいんだけど、心が回復しはじめたら、少しずつここに気づけいてほしいのです。

しつこいけど、

愚痴という形で、自分の感情と思考を口にするとは、心を健康に保ったり元気を回復するための良薬になるからとても大事です。でも、量が過ぎると気持ち良さに溺れてしまう人もいます。傾聴されてることに無意識に快楽を覚えてしまっている中毒になっている方が少なくないような気がします。

この話、昨年の8月に、ゆるゆるとアメブロで書かせてもらっているので、よかったら、お読みください。
https://ameblo.jp/mitsuba-jyuku/entry-12617016203.html

長々と愚痴の話をしてきましたが、まとめてみると、

「子育てに苦しんでいる人」から卒業する人と卒業しない人の違いとは


卒業する人は、自分のケガを理解し、自己理解をしながら自らを育む覚悟をして行動した人であり、卒業しない人は卒業しない選択を無意識にしてる人なのだと思います。

そして、その意識の差を、私はその方の愚痴の活用から測っています。

自分の心(本年)を理解していない人は、怪我を理解できてない人が言いがちな話をし、
心に向あう覚悟を持たない人は、傾聴の快楽に溺れ、
行動しない人は、心身がまだ回復に向かえる準備ができてない話をしてくれます。

自分に向き合いたくない、も選択の一つです。
ですから、そうした保護者のお考えも尊重します。覚悟のない人に無理をさせても、嫌な思いしかさせることはできませんし、向き合う準備ができてないのだと思います。

大事な人ほど、苦しさから卒業して、早く幸せな保護者になってほしい、親子でハッピーになっていこうよ…と思ってしまって、頼まれてないのにお節介をしたこともありましたが、その方との関係性を崩してしまったという苦い経験が何度もあります。

ですから、「その人のペース」で進むことが最も大事ですね。

「子育てに苦しむ人」から、卒業されていない方へ

卒業してない人には、まず、自分を満たすことを先にしてください、とお伝えしたいです。卒業した人や、途中のいる人は、自分の満たし方を学んで実践されている方たちです。

子どもの幸せを切に願っていう親は、まず、自身が幸せになる必要があります。親が先です! 子どもは、無意識に「親を模倣している」ので、子どもの幸せのためには、親が先なのです。

そして、そのために、子どもの幸せを願うのであれば、まず、自分を整えることからです。
ここに気づくだけでも、いい循環にはいっていけますから。

だからこその愚痴です。
いい循環に至るために、自分の本音ドロドロの愚痴 にきづけると、あとはいろんなことが自然に変化していくものです。ですから、幸せに至るプロセスとして、自分の本音に気づくために、愚痴はいいましょ♪ 書きましょう♪ 

酔っぱらうことで理性を外すことが必要なように、愚痴に溺れることだって時には必要かもしれないですよ。
我慢してた言いたいことを、害のないところで、ごっそり吐きたしてみてください。

をお勧めしたい2021年1月16日の天赦日&一粒万倍日でした。後日読まれた方も、この日のパワーが届くはず! 読んでくださった方に、幸あれ~♪です。

●2022年2月24日 誤字他、少し変えて再投稿します。

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