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子どもの子どもにも伝わって欲しいこと

子どもとともに出戻りさせてもらった母の家は、生家ではなく、わたしの住んでいた家に近い場所に用意した一人暮らし用の戸建てでした。
そこは、一人で暮らしには十分過ぎるほどに広かったのだけど、子ども3人と娘が一緒に住むには人口密度?が高いせまいせまーい家になってしまいました。

それでも、何回かの断捨離を繰り返して、何回かの母の手術や入退院を繰り返して、子どもの不登校やら進学を経て、5人で生活を始めて先の12月で丸三年が過ぎました。

そんな生活の中での一番の幸せ時間は、お布団に入るときにやってきます。
4畳半の部屋に布団を三つ並べて、160㎝以上ある女子が3人並んで寝るので、なかなかの窮屈さです。
けれども、両脇で寝息を立てている子どもたちの間の布団に入るときに、「布団で寝られるって幸せだ~」という一回目の波がやってきます。
そして、そのあとから、両脇にいる娘たちの顔をしげしげと眺められる幸せ時間がやってきます。ちょっと変態かも?と思いながらも、無防備に眠るこどもの顔をみていると「あぁ、ありがたい、ありがたい。まじで幸せだ~」という気持ちが湧き上がってくるのです。

家の子どもたち、世間様からみれば、お世辞にも「優秀なんですよ!」とはいいがたい方々です。けれども、私は、「それぞれにすごい素敵なところがあるし、きっと、自分らしく人生を楽しく歩んでいくであろう、私から見たら超かっこいい人たち」だと親バカながら思うんです。

私は、愛着障害が原因であろう起こるトラウマが山盛りでしたし、発達障害の特性も多々あり、数年前は今よりもだいぶメンタルヘルスが不安定でした。そんな私に育てられてたのは、さぞ大変だったろうに、と彼らが本気で気の毒になります。おまけに、父親の方も、ASD的な特性が山盛りで、私にも子どもにも、モラハラ・パワハラしまくり、まったくその自覚がないような人で、子どもにもそれぞれに癒す必要のある人生の課題をもらってきました。

だけど、そんな両親だったからこそ、彼らが得られたこともあると思います。これって、ある意味、神様からのギフトなのだと思います。

抽象的な言い方になりますけど、私が誇れるのは、月並みですが、やっぱり子どものことです。けれどもそれは、子どもの能力や学歴などの社会的な成果物ではなくて、「こどもの在り方」みたいなことなんだと思うんです。
これは、今の社会生活で、評価されることはではないのでしょうが、私は、親として、よりも、人として尊敬してしまうことを、子ども達には、さらりといったりやったりされます。

特に、社会性の低い娘二人たちは、より純粋に世の中をみているようで、びっくりさせられることが多いです。お兄ちゃんの方は、年齢的にも、彼の経験してきたらことが、しっかりした人として、社会性となって身についているので、別の良さをもっているいますが、娘たちの方は、常識や「~すべき」という使命感にとらわれてない分、ナチュラルに精神性が高い気がします。

そんなわが子たちのやっていることの中で、これは子どもが、将来子どもを産んだときに、親からもらったものとして続けてほしいと思うものが、「大好きよ」と言葉で伝えることです。ほかのご家庭ではあまりされないようなので…。

そもそもは、育てにくい子どもとの生活の中で、私の方がしばしばヒステリックにキレて怒鳴り散らして…みたいなことをしてしまった時期があり、そうした行いを寝る前にリセットしてから入眠できるように、「大好きなのに傷つけてしまってごめんね」という感じで、私が子ども達に対して、「大好きだよ」と言い続けてきたことが習慣化しているからなのかもしれませんが。

少し大きくなってくると、意見の対立などで互いに言いすぎてしまうこともありました。そんなときにも、「大好きなの」「だから余計な心配したり、お節介をしてしまうし、失敗してほしくなくて、嫌な言い方しちゃったりする」と自分がなぜ言いすぎてしまうのか、という理由を伝えるために「好きだから」と伝えてきました。

そのせいか、我が家では日曜の中で「だいすきよ」が頻繁に飛び交います。

大好きだから を入れれば何を言ってもいいし、何をしてもいいということとは全く違います。心のない言葉は、ちゃんと心がないことも伝わます。
どんなに小さい子でも、バカじゃないです。ってかとてつもなく賢い存在ですから。

それに、言葉の力だってすごいんですから、濁りがあったら、それも伝わってしまいます。

そういえば。
夕べ、末っ子の寝顔をみながら至福を味わっている際に思い出したことがありました。
私が中学生になるくらいまで、深夜に仕事から帰ってきた母が、寝ている私の顔を幸せそうに眺めながら頭をなでていた映像が、こそばゆいような心地よさを感じていた当時の気持ちとセットで出てきました。

私が寝るときに子どもを幸せな気持ちにさせたかったのは、もしかしたら、私が小さいときにもらっていた記憶がそうさせているのかもしれないですね(笑)

稼ぎがあまりない私の方にくっついてきちゃったので、子どもたちには経済的に余裕のある生活はさせてげられらないです。けれど、「自分たちの伸びたい方向に延びていくために」私の愛情をたっぷり吸収して、すくすく育って生きていく土台を育んでほしいものです。
そして、いつか自分たちが家庭をもったときに、自分の子どもたちにも、自分の好きな方法で、愛情を伝えてほしいと思ったのでした。


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