親への支援と子どもへの支援の差
老化による認知機能の低下の仕方が、子どもの発達障害の特性に類似しているので、似たような対応をすれば、お互いに負担が減りそうなこともけっこうあります。
だけど、小さいころからできなかったことと、老化によってできなくなってきたことでは、本人にも受け取るほうにもダメージが大きいことを、じわじわと感じています。
できないこと、うごけないことが増えていくだけてストレスフルなのに、自分が期待するような反応が貰えないことへのストレスなどなど、母が誰かに依存したがってることはわかっていて、
その欲求に応えてあげることで、母は満たされていくことわかっているのだけど、頑なにやりたくない自分がいます。
やっと共依存の関係から何年もかけて抜け出せたからこそ、依存されることが怖いのもありますが、大好きだけどどっかで恨んでいる…という、普段は見ないですんでいる深い深いダークな本音も見え隠れしてるせいなのだと思います。
大好き…といまの年齢で言えるようになった自分に拍手しつつ、母の残り少ない人生を、わたしが無理しすぎることなく、楽しい、嬉しいを共にに育んでいきたいと思った父の29回目の命日でした。
生きててくれて、ありがとう。
今日、母にいえばよかったです。
言えたらよかったなぁ。
よろしければサポートお願いします! 日々の生活の糧にいたします。