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夢(職業)がなかった中学生の自分へ

学校であなたの「夢はなんですか」と聞かれることが嫌いでした。

田舎で育った私の将来の自分像は「都会で働くキャリアウーマン」と言う、今の暮らしとは真逆の姿でした。

中学では、県大会で上位を争うほど剣道ばかりしていました。

高校は強化指定部のスポーツもしたくない、勉強も選抜クラスに入ってするほどやりたくないとあえて普通の道を選びました。

大学は卒業すれば何かやりたい仕事に就けるかと思って東京の大学に進学し、住み込みバイトをしながら夜間部に通いました。

その後、紆余曲折して地元にUターンし今は家族5人で健やかに暮らしています。(ほぼ専業主婦)

こんな生活をするなんて中学生のときの自分には頭の片隅にもありませんでした。

中学校卒業とともに、高校での寮生活が始まりました。保育園からずっと一緒にいた仲間と離れ、全国各地の友達の中での生活が始まりました。

姉や親友が学校にいたので心強かったですが、今まで生活してきた「私の当たり前」が見事に覆えされ考え方が広がると同時に、今まで暮らしてきた環境にありがたいなという気持ちが湧いてきました。例えば先生の話を初日から机にうつ伏せになって聞くという態度の人に驚いたり。。。

田舎で育った特徴として、様々な物、事、人に触れる機会が少ないことが挙げられると思います。

世の中に出ると思ったよりも、たくさんの仕事の種類がありました。

そのたくさんの種類の仕事に生活の中で触れる機会がなかった事を知りました。

いろんな考えを持つ人たちに出会いました。すごいなぁと感心できる人もいれば、がっかりして悲しくなるような出会いもありました。

大学3年生の時に、日本語教師と言う仕事に興味を持ちました。留学生と共に生活する中で、自分自身が人に教える事を得意としている事は認識していましたが、小学生の時祖父に「教師にはなるな」と言われた事があり教師は諦めていたので外国人に教えるという仕事があると思いませんでした。

その時に「なぜ、日本語教師が向いていると自分で思ったのか」ということを考えた事がありました。

はっきりした職業としての夢がない事に劣等感を抱いて暮らしてきましたが、いざ目標が決まった時にこれまでの自分が生かされたことはたくさんありました。

高校大学と他の環境で生活してきた価値観の違う人と暮らすことで、いろんな考えを受け入れることができるようになっていました。

中高で生徒会などをやることで、人前に出て話したり、理解してもらうために工夫することは苦ではありませんでした。

学生時代、この勉強は何に役立つのかと疑問に思う時はあったけれど、数学的思考で仕事が捗ることはよくあるし、国語が役立つときもたくさんあると社会に出て実感しています。

「夢がなく劣等感を持つ自分」を「いままで積み重ねてきた自分」が背中を押してくれ、夢を見つけた時に飛びつくことができました。

結局、資格は取りましたが結婚と同時に家業の手伝いの為に地元に帰ってきたためその仕事はしていません。

しかしいま、地元の木材と触れ合い知ってもらう授業をするために小学校の教壇に立つ仕事もしています。

「やってみない?」と声をかけられて応えられたのは日本語教師になるための勉強をした自分の経験が役に立つと思ったからです。

私の過去は無駄にはなっていません。
大学時代に貯めたお金を全部使って日本語教師の養成スクールに行きましたが、自分で選んだ道なので後悔していません。

夢(職業)がずっとなかったけれど、目の前にある一つ一つの課題を乗り越えてきた自分が今やりたい事に取り組む土台になっているなと実感しています。

仕事をする対価として給料がもらえるけれど、何に使うか、何に幸せを感じるか、どんな暮らしがしたいのか、誰と一緒に過ごしたいのかは、人それぞれです。

私には私の幸せがあります。
服や食べ物に興味はないけれど、子供達と過ごす毎日が楽しくて仕方ありません。

今中学生のときの自分に声をかけるとすればこう伝えます。

夢(職業)はなくてもいい。けれど、目の前にあることには一生懸命取り組んでほしい。一つ一つを積み重ねながら自分を大切にしていれば、きっとそれが未来につながるから。


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