新井孔央から見た『邪教』

作・演出で、ド・パールシムの主宰の新井孔央です。自分で1から作ったものなんですが、稽古も進み落ち着いて作品に向き合えるようになってきたので、客観的な視点から、今作『邪教』について話そうと思います。

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『邪教』って話なんですけど、どんな話って言われると、困ってしまっていつも「愛」と「信仰」の話っていうのをよく言ってますが、そんなに重っ苦しいものじゃないし、むしろ吐き気がするほど低俗でくだらない芝居だと思ってます個人的には。丁寧すぎるほど、緻密に描かれた会話が積み重なり、低俗さがフッと美しいものになるような演劇です。

「聖」と「俗」というのの関係を軽く書きたいということで今回の作品は始まりました。登場人物は兄を亡くした宗教二世の女の子。婚約をした一組のカップル。しかしその彼女の方は高校時代に女の子の兄と付き合っていた。あと女の子の定期検診を受け持つ精神科医。その4人を描いた会話劇です。宗教二世の女の子は、宗教を脱退してすぐに小説を書きながら援助交際を始める。そして、カップルの家に入り浸るようになる。やっぱり、これだけ書くと重そうに感じますよね。でもそんなに重くはないんです。むしろ軽い。だから、なんかもう見てもらうしかないんですが。ただ見ればわかる。人間のバカバカしさ。愛というもの、信仰というもの、生きる上で必要な全てをバカにしている。そんな芝居です。

どうして演劇をやっているのか分からなかったんです。だからド・パールシムなんて、意味のない劇団名をつけて活動しています。それが最近わかってきた気がします。この世の中は綺麗なものが多すぎる。それで、多分性格の悪くて世の中をうがった見方でしか見れない私は、仕方がないのですが、その綺麗さを素直に綺麗と認めることができない。むしろ汚したくなるんです。人間が想像していたよりも綺麗だったんです。そんなことがめちゃくちゃに描かれている作品です。そんなイデオロギーみたいなものを表現したいわけじゃないし、表現してないし、多分見てもそんなの全く感じないと思います。しかし、今客観的に作品を見ると、自分の性格の悪さに失笑してしまいます。

演劇のスタイルは、不条理的というか、違和感というか、あくまでリアルではない言葉を使った会話劇です。でもリアルと地続きになってるから、一見リアルのように見えるかもしれない。気持ち悪くて、冗長的で、でもなんか引き込まれる会話。そうゆう会話で物語が積み重なっていくような演劇です。

なんか色々長々と書きましたが、僕はプレゼンが苦手みたいです。でもだから特に何かを伝えたいとかは何にもない芝居ですし、「愛」ってなんなんだろうとか「信仰」ってなんなんだろうみたいなことを、めちゃくちゃにふざけて、でも丁寧に書いた芝居だと思ってほしいです。何度も言いますが、これはド・パールシムの代表作になるであろう、絶対に面白い作品です。

どうぞどうぞ、お気軽に見に来てください!
新井孔央でした!

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