バーチャルとアバターに関する逆説的な話
VRChatやVカツで"自分探し"をするうちに、自分を適切に表したアバターが存在しないかもしれないことに気付いた。自由に外見をエディットできるようになると、どんな外見にしても意図しない意味(イメージ、印象と言うべきか)がついて回るんだよね。
現実の人間なら、髪の色が黒色であることに意味はないけど、どんな色でも選べる中で敢えて黒色を選ぶとなると話が違う。身長や体形、髪形や瞳の色、服装についても同様だ(現実世界の服装は部分的に選べるものではあるものの、まだまだ身体特徴や社会身分に依存した不自由なものとしての側面が大きい)。
(これに関連して。バーチャルAV女優で私の友人のKarinさんが「現実世界では性別を自由に選べないからこそ、ジェンダーロールからの逸脱がゆるされやすいかもしれない」といった話をしていたので、興味がある人はそちらも当たってみるといい)
さて、じゃあ私は私を表す為にどんな外見を選ぶべきなのか。
理想を言えば、なるべく意味が未定義な容姿を選んで、私の言葉や行いを全て生のまま、無圧縮で受け止めて、既存の価値観と無関係に解釈して、どんな私も全て"そういうもの"として受け入れてほしい。言うなれば信号機や郵便受けや、意味のない記号や模様に、ありのままに私という意味を与えていきたい。
あの赤色の冷蔵庫は駄洒落と与太話が好きで、かわいいものに憧れていて、人を幸せにしない正論が嫌いで、あまり声は綺麗じゃないがよく笑う。そうなったとき、赤い冷蔵庫はどんなことを言っても"そういうもの"だし、何をしても"そういうもの"になる。
Virtualの本来の意味は「本質」「実際」だ。にも拘らずVRの世界では、ありのままの自分を歪めて解釈されるような外見を好んで装う人がたくさんいるのは面白い。単なる言葉遊びの話なのはわかってるけどね。
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