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それは本当に余計な話?――『表現のための実践ロイヤル英文法』から考える

英語の文法書はいくつも出版されていますが、中でも『表現のための実践ロイヤル英文法』(綿貫陽、マーク・ピーターセン著、旺文社)はお気に入りの一冊です。

この本は、簡潔で的確な説明、学習者がよく間違える項目への目配りなど、良いところがたくさんありますが、今回注目したいのは、例文の内容に関する解説がある点です。たとえば、以下に引用するように、例文で言及されている出来事(ここでは盗まれていたモナリザの絵が発見された件)についての説明が付いています(161ページ)。

他動詞の過去分詞は受動的意味を持つのがふつうである。
In 1913, the stolen Mona Lisa was discovered at a hotel in Florence.
(1913年に、盗まれた「モナリザ」がフィレンツェのホテルで発見された)
●the Mona Lisa, which had been stolenの意昧。
◆ルーブル美術館から盗まれた名画、ダ・ビンチの「モナリザ」が、 2年後にフィレンツェのホテルで発見された。このホテルは有名になり、名前までHotel La Giocondaに変えられた(モナリザは、別称「ジョコンダ婦人の肖像」だから)。

これは名詞を修飾する過去分詞の用法を扱った箇所ですが、文法書としては異例なほど例文の背景知識が解説してありますね。

英文法を説明する場合、文法項目に関係のない解説は不要であるとする考えもあるでしょうが、私は「英語で話されたこと・書かれたことを理解したいから英文法を学ぶ」というのが大切だと思っていて、英文の内容理解に関することであれば、どんなことでも余計なことではないと言いたいです

「余計なものを削ぎ落していく」という発想でいくと、たしかに学習すべき事柄はシンプルになるかもしれませんが、おもしろいと思えるような部分もどんどん取り払うことになって、残った部分はずいぶんと貧相なものになってしまった、なんてことになったらさびしいかと思います。

そもそも言語というのは、何かを伝えるためのものなのだから、その何かを余計なものだと言って勉強しようというのは、私たちが普段している言語の接し方とはずいぶん離れてしまっているような気がします。そういったことが、英文法を学ぶことに抵抗を感じさせてしまう要因の一つになっていないでしょうか。『表現のための実践ロイヤル英文法』はそんなことを考えるきっかけを与えてくれるという意味でも重要な文法書だと感じます。

なお、そもそも英文法の学習と英文内容の学習はそんなに簡単に切り離せるものなのかどうかについて考える必要があると思うのですが、それについてはいずれどこかで取り上げたいと思います。

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