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新型コロナウイルスと言語――メタファーと物事の見え方

現在、大修館書店の月刊誌『英語教育』で「実例から眺める『豊かな文法』の世界」という連載を担当しています平沢慎也さんとの共同連載で、我々2人が共有している文法観を「豊かな文法」と名づけ、英語の実例(英語教育向けに作られた例文ではなく、実際に使用された英語表現)を紹介しながら文法の話をしています。

この連載の第8回記事(2021年11月号に掲載)で「新型コロナウイルスがどのように語られるか」を扱った英文記事を引用しました

今回は新型コロナウイルスと言語に関する話題を少し掘り下げてみようと思います。このnote記事単独で読める内容になっていますので、連載記事を読んでいない方にも見ていただけたらと思っています。もし今回のnote記事がきっかけで連載に興味を持ったという方がいれば、それも大変うれしく思います。第8回記事が掲載された『英語教育』2021年11月号は、店頭にはもう置かれていないと思いますが(すでに12月号が発売されています)、ウェブ上ではまだ購入可能ですし、App Storeのアプリでも読むことができます。

第8回記事について

この連載では、著者2人の対談形式の回とどちらか一方が単独で記事を書く回があります。単独記事であっても、打ち合わせを重ね、互いに原稿にコメントを出し合って仕上げています。

第8回記事「ディスコースを組み込んだ単位の習得:actuallyの観察を通して」は、私の単独記事です。この記事では副詞actuallyの用法を取り上げました。actuallyにはいくつかの用法があるのですが、そのうちの1つとして、前言から想定される内容を覆す際に用いられる用法を挙げることができます。この場合、butなどの逆接の表現を伴うことが多く、actuallyという単語は、このような「話の流れ」(言語学用語でいう「ディスコース」)とセットで覚えることが重要だということを述べました。その際、actuallyの使用例として、コロナウイルスと言語について書かれた英文記事を引用しました。

連載の中でコロナウイルスと言語について触れたいとは以前から考えていました。第8回記事は、actuallyとディスコースの学習の話でありつつコロナウイルスと言語の話でもある、そのような構成を目指して書いてみました。以下では、第8回記事に書き切れなかったコロナウイルスと言語に関する話題をもう少し詳しく紹介します。

「コロナと戦う(闘う)」という表現

少し回り道になりますが、まず「彼は飲み込みが早い」「あの授業はきちんと消化するのが大変だ」のような表現を考えてみます。「飲み込み」や「消化する」などはもともと飲食に関する表現だと言えますが、ここでは「考えを理解する」といった意味で使われています。つまり、「考え」を「飲食物」になぞらえて表現していることになります。このような「AをBになぞらえる」という発想に基づく表現はメタファー(隠喩)と呼ばれています

メタファーは新型コロナウイルスについて語る場合にも用いられます。たとえば「コロナと戦う(闘う)」といった言い方は、コロナウイルス関連の出来事を戦い(戦争)になぞらえた表現だと言えます。このように戦いになぞらえるメタファーを「戦いのメタファー」と呼んでおきましょう。英語でもthe fight against the coronavirusなどの言い方がなされることがありますが、実はこのような表現には問題点もあることが指摘されています。以下の記事を見てみましょう。

(1) Linguistics experts call for alternative ways of talking about Covid-19

この記事に、言語学者Elena Semino氏の言葉が引用されています。Semino氏は、戦いのメタファーを用いると感染者をウイルスとの戦いに敗れた者と見なすことになり、感染者への不当な攻撃が助長されてしまうのではないか、という懸念を表明しています。「コロナに負けないようにがんばろう」といった表現には危うさもあるのだとハッとさせられました。

第8回記事では、(1) の英文記事に出てきたSemino氏の言葉を取り上げ、その中に出てきた副詞actuallyについて説明しています(Semino氏の発言部分は日本語に訳しました)。

戦いになぞらえないのなら、どうするのがよいか

戦いのメタファーを使わないとなると、どのような表現を使えばよいでしょうか。(1) の記事が書かれたのは2020年4月で、この時点ではその他のメタファー表現がいくつか紹介されるのにとどまっていましたが、Semino氏らはコロナ関連のメタファー表現を収集・観察するプロジェクトを進め、同年8月には以下の記事が公開されました。

(2) ‘A fire raging’: Why fire metaphors truly fan the flames of Covid-19

この記事でSemino氏らは森林火災のメタファーの有効性を報告しています。日本語であれば、「感染拡大の火の手が上がって消火活動が間に合わないなんて事態は、避けなければならない」といった表現を考えることができるかと思います(試しに例文を作ってみました)。

戦いのメタファーを使用する場合、感染者、特に感染で亡くなった人を「敗者」と見なすことになってしまいますが、森林火災のメタファーを使うなら「被災者」という形で捉えることができ、「敗者」に比べると不当な攻撃が起こりにくいと考えられます。戦いとなると、私たちは「勝ったか負けたか」という結果に目を向けがちですが、森林火災であれば「被害拡大の阻止」という、事態の進行に応じた行動についても意識しやすくなりますし、「復興」などの今後についての話題にもつなげやすくなります

何が起こっているかが大事であって、その伝え方は問題ではない。そのように考えられる場面もあるかもしれませんが、上で見たように、どのようなメタファーを使うかによって、聞き手・読み手にとっての物事の見え方が変わってくることがありますその意味でメタファーの選択は極めて大きな役割を持っています。そして、メタファーを使っていることに無自覚だと、話し手・書き手は自分が採用している物事の見方に気づけない恐れがあると言えます。これらはメタファー全般に当てはまることではありますが、コロナウイルスという誰もが否応なしに関わらざるを得ない話題においては、より重要になることだと思われます。

いろいろなメタファー

Semino氏は戦いのメタファーにも利点はあると述べています。「コロナに負けないようにがんばろう」といった言葉は人々を鼓舞する力があるでしょう。一方で、問題点があることはすでに述べた通りであり、ともすれば感染者の「戦い方」に非があったのではないかと思わせてしまう点などに注意する必要があります。森林火災のメタファーであればそのような問題は避けられますが、火災になぞらえるのがいつでも効果的というわけではなく、また別のメタファーを使うほうが望ましい場合もあります。たとえば、感染後の経過を描写するのであれば、旅のメタファー(「回復までの長い道のり」など)を用いるのがよいかもしれません。

まとめると、メタファーの選択によってどのような側面に注意を向けやすくなるかが変わること、メタファーごとに利点・欠点があることを理解して、状況に応じてメタファーを使い分けるのが重要だと言えるでしょう。そういったことを総合的に判断した上で、Semino氏は森林火災のメタファーに有効性を見出しています。詳しくは、 (2) の記事を読んでみてください。Semino氏が書いた学術論文としては (3) があります。

(3) “Not Soldiers but Fire-fighters” – Metaphors and Covid-19

言語学の勉強をされたことがある方には、こちらもおすすめします。

言語学の貢献、そして、いま私にできること

新型コロナウイルスの感染拡大により、世界は大きく変わりました。仮に感染しなかったとしても、これまでとは異なる生活様式が求められます。大学も大きな影響を受けました。このような状況で、何か自分にできることはないかと考えていた時に見つけたのが、(1) の記事でした。その後、(2) の記事が公開されました。着実に研究が進んでいることを知って感動し、いま言語学にできる貢献があるのだと実感しました。

メタファーに関する研究には長い歴史がありますが、言語学、特に認知言語学と呼ばれる分野では、この40年間でメタファーは盛んに研究されてきました。私自身、認知言語学の枠組みで言語の研究を行ってきたので、メタファーに関する本や論文は読んできましたが、メタファーに特化した研究は行ってきませんでした。そんな自分でも、Semino氏らの研究成果を紹介することならできると思い、連載第8回で (1) の記事を取り上げ、そしてこのnote記事を書くことにしました

今回はSemino氏らの研究を紹介しましたが、言語学に携わる者として、ほかにも自分にできることはないか、今後も考えていきたいと思います。

[謝辞]この記事を書くにあたって連載の相方である平沢慎也さんに助言・コメントをもらうことができました。ここに記して感謝したいと思います。

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