JAAA 2017年懸賞論文 人事分野 ファイナリスト作品(自分のです)

タイトル『教育と向かう長時間労働の是正 ~労働生産性向上のための教育体制~』

1 長時間労働是正に向けて
近年、長時間労働問題を始めとした労働問題が取り沙汰されている。これは、特定の業界に限った話ではないが、元来、労働時間の管理が徹底されていなかった広告業界にとっては、耳が痛い話だ。これに対し、政府も「働き方改革」と銘打って、労働問題を重要視している。働き方改革の中で特に、「長時間労働の是正」については、広告業界にとって早期に解決を要する問題であり、「働き方改革実現会議」の中では、主に時間外労働の上限規制をはじめとした法改正が取り上げられている。しかし、本当にそれで労働問題、特に長時間労働の是正に対する改革が行われているのだろうか。
私も、広告会社のいち人事部員として、長時間労働の是正に向けて様々な施策や考え方を社員に周知しているが、なかなか社員にその目的や、残業というリスクの考え方が浸透している実感がない。これは、恐らく私だけではなく同じような業務をしている方であれば、少なからず感じたことがあるだろう。広告業界においては、これまで実態として労働時間の概念があってないようなものとされてきた部分もあるため、業務の特性も加味しても、目指すような成果が出ていないのではないだろうか。この問題を解決するにあたり、各企業や業界、政府がしているほとんどの施策は、いわゆる「外側」の話であり、「内側」、即ち労働者自らが考え行動することはほとんど言及されていないように思える。もちろん、法改正や仕組みづくりは、働く環境を整えるという意味では重要であるが、労働者たちの意識がなければ、いくらでもその仕組みから抜け出そうとするだろう。
私は、この労働問題、とりわけ長時間労働問題を解決するにあたっては、内側の体制づくり、つまり労働者の意識変革が重要であり、その為にはまず教育から始めるべきであると考えている。そこで、課題解決という面において、様々な業界を牽引する存在である広告業界にふさわしい教育の在り方について、考えてみたいと思う。
 
2 生産的な労働と教育
広告業界の教育について考察する前に、私が考える労働問題と教育の関係性及び可能性について触れておきたい。
前述のとおり、働き方改革の目標の一つに、労働生産性向上がある。政府は、マンアワーあたりの生産性向上が、ワークライフバランスの改善につながるとし、企業にとっても、労働生産性を向上させれば、人件費の削減や、事業拡大につなげることができる。しかし、生産性向上において誤解されがちなのが、時間という「量」の削減が、自然と生産性を向上できるという認識だが、実際は「量」ではなく、「質」のコントロールが必要になる。
広告業界においては、クリエイティブ職やプランニング職に就いている方は特に、良い結果を出すためなら、と時間を惜しまずに働いているが、生産性の面から考えれば時間をかければかけるほど非効率である。この点において、法や仕組みを整えても、単に「量」のコントロールをしているに過ぎず、実際は、長い時間をかけて生み出していた成果が、無理やり時間を減らされることで、中途半端な成果に終わることも有りうる。
 労働者それぞれが、生産性向上のために何をすればよいか、を自ら考えることができれば、どんな法や仕組みの下でも、生産性は向上されるはずである。
 その考え、認識を備えてもらうために、教育という手段が必要なのだ。「業務を行う」ということに関して言えば、上司から部下に、あるいは先輩から後輩に対するマネジメントの領域になるだろうが、「労働をする」ということに関しては、労働者一人ひとりの意識が必要であり、その意識は自分の内側に形作られるものである。
では、長時間労働是正に向け、広告業界においてはどのような教育体制がふさわしいのだろうか。

3 教育体制の重要事項
教育体制の検討の前に、前提として重要なことが3つある。
1つ目に、この教育の成果、即ち長時間労働の是正が、業績につながる、ということだ。長時間労働を是正できれば、コストダウンにつながる。また、質のコントロールが適正に行われれば、業務効率は向上し、新たな制度導入や、事業領域拡大に向けた諸施策の実施と効果測定がすぐにできるため、業績への大きな影響となる。言い換えれば、業績向上を目的とし、長時間労働を是正し、業務効率を上げるために教育をするのである。
2つ目に、この教育が行われる場所が、企業の中であるということだ。しかし、ただ単に企業の中で教育をすればよいのではない。企業の中での教育というと、OJTが最初に浮かぶだろうが、長時間労働是正を目標と据えた場合、OJTでは、トレーナーの経験次第で、むしろ労働問題が悪化する可能性もはらんでいる。
ここで、わが国の労働時間の推移に触れておきたい。内閣府経済社会総合研究所によれば、高度経済成長期終了後からバブル崩壊までの間は、労働基準法改正の煽りも受け、全産業において労働時間が減少していたが、広告業界(産業分類では「通信」)においては、日本のインターネット元年と呼ばれた1995年を含む1997年以降、徐々に増加の一途をたどった。統計は、一旦2002年で終了しているが、景気動向がそれ以降上昇し、いわゆる「いざなみ景気」を迎えることから、労働時間の上昇も、容易に想像できるだろう。もちろん、これは広告業界に限った話ではないが、現在の長時間労働是正の動きは今ほど強かったわけではなく、働けるだけ働くという風潮があったはずだ。つまり、企業内教育として中堅以降の社員によるOJTを選択してしまうと、トレーナーのこれまでの経験により、長時間労働是正の効果が薄れてしまう問題をはらんでいる、ということだ。
 では、企業内での教育とは何を指すのかというと、「ワークプレイスラーニング」という考え方の下での教育である。ワークプレイスラーニングとは、一般に「個人や組織のパフォーマンスを改善する目的で実施される学習その他の介入の統合的な方法」とされ、セミナーなどのフォーマルな形態ではなく、現場での実践を含む、形にとらわれないインフォーマルな形態のことをいう。ここには、OJTやOFF-JT、仕事の進め方の改善検討なども含まれるが、それぞれの方法を個々に捉えているわけではなく、「個人や組織のパフォーマンスを改善する」ために行われる学習や情報共有すべてのことを指す。ワークプレイスラーニングでは、より実用的な内容が求められると考えられるため、先ほどの、OJTがはらむ問題については、長時間労働是正という目的の下では、予め排除しておくべきだろう。また、ワークプレイスラーニングでは、業績向上のための人材育成という側面が強いため、長時間労働の是正に当たっては、セミナーなどで概略を学ぶよりも、自社の業績と結び付けて考えたほうが、より効果的である。その意味で、企業内での教育が重要なのだ。
3つ目は、評価をすることだ。ここでいう評価とは、教育を行う上で発生する段階と、それを含む教育全体に関する評価のことであり、教育開始に至る活動への評価(事前的評価)、教育中の活動に対する評価(形成的評価)、教育後の成果に対する評価(総括的評価)、教育活動全体に対する客観的な評価(外在的評価)の4つに分けることができる。この評価については、長時間労働是正に対しての教育だけでなく、その他の、企業の教育・人材育成担当者が計画し、実行し得るすべての教育活動に活用でき、PDCAを回して教育活動をより適切なものにしていくために重要なものだ。特に本論では、教育の先の成果が重要になるため、4つの評価のうち、総括的評価は力を入れて行うべきだ。
ここまでの重要前提事項3つを踏まえ、私は4段階の教育プロセスを考えた。

4-1 「学習する組織」への変革
教育をするにあたり、効果的に成果を出すためには、組織全体の意識が統一されている必要がある。企業という組織体の教育は、一人で行うものでも、一方的に教えられるものでもないからだ。組織全体が教育に向かうには、ピーター・M・センゲの提唱するような、「学習する組織」への変革が求められる。学習する組織とは、「目的に向けて効果的に行動するために集団としての意識と能力を継続的に高め、伸ばし続ける組織」のことであり、明確な目的の下、様々な変化に柔軟に対応し、組織に属する一人ひとりが自ら学ぶ組織のことである。なぜこの、学習する組織が求められるかについては、その反対の、学習しない組織を基に説明したい。組織が学習しない状態とは、自らの思考に合致する物事や、経験があること、発生しても平静を保てる、安心できる物事ばかりに目が行き、狭められた思考で物事を判断している状態のことである。労働に置き換えれば、多少体力的なきつさはあるものの、似たような案件を扱ったことがあり、それに対しては、多少時間がかかっても同じようなやり方をしていれば、必ず成功し、会社からもそれなりに評価される、というような思考が働く状態といえるだろう。これでは教育しても浸透せず、長時間労働の是正どころか、教育が負荷となり、社員からの反発が必ず起こる。以上のことから、教育を行うためのファーストステップとして、学習する組織への変革が必要である。

4-2 マネジメント層の意識改革
通常の教育であれば、その内容に応じて、優先すべき階層を変えることになるが、今回は長時間労働の是正が目的であるため、次のステップとしては、長時間労働を部下に命じ、管理する立場であるマネジメント層への教育及び意識改革が優先的に求められる。
マネジメント層においては、業績への責任という点において、労働生産性の意を強くすることはもちろん、ワークプレイスラーニングの考え方の下、部門を超えた情報共有をすることが重要になる。特に、ワークプレイスラーニングについては、部門間の競争による相乗効果ではなく、協力・共有体制を敷くことが重要であると強調したい。

4-3 一般職の教育
ここでは、入社3年目までの若手社員と、その他の一般職社員を分けて考えたい。実業務に関する知識やスキルの習得ではなく、労働に対する姿勢については、早期に醸成させないと、それが染みついてしまう恐れがあるからだ。
①若手3年目までの教育
入社1年目は、社会人に慣れ、2年目は担当業務に慣れる、ということを誰もが経験したことがあるだろう。そして3年目では、企業によっては、新たな階層へと進む第1歩となるわけだが、恐らく異動しても同じ成果を上げることができるような仕事力を身に着けているわけではない。そこで、非生産的な仕事の仕方が身についてしまう前に、生産的な方法を身に着けてもらう必要がある。また、厚生労働省が毎年発表している「新規学卒者の産業別離職状況」によると、就職3年以内に約3割が離職をしており、広告業界においても、約2.5割が離職をしている。この状況から、企業側とすれば、早期に若手社員に対して、「仕事とは」、「企業活動とは」など、労働そのものについての正しい認識を持ってもらう必要がある。

②その他一般職への展開
3年目までの教育とは違い、これまでの自分の仕事の仕方について、振り返ることから始まる。すでに身に着けた仕事の仕方が、果たして労働生産性の観点から適切かどうかを鑑み、改善していくことになる。その中で、労働生産性が業績に与える影響について、改めて意識してもらうことで、事業と自らの業務について客観的に見ることができるだろう。

4-4 評価との連動
組織全体の環境づくりが形になり、各階層における教育が循環し始めたら、生産性向上を目的としたPDCAを回し、それに対する評価体制を整えるべきだ。この評価については、前述の重要な前提条件でも述べたとおり、適切に教育を行っていくために必要なものであり、成果を計る上でも重要な要素である。

5 教育の重要性
ここまで、長時間労働是正に対して、少しでも具体的かつ現実的に解決に向かうため、教育という方法について私なりに論じてきた。この教育については、さらにその中身を検討しなければならないため、本論文では、具体性にかける部分もあるだろう。しかし、いち人事部員として長時間労働問題を捉えた時に、やはり労働者を取り巻く環境を整えるだけでは、根本的な改善が難しいことを実感しているため、その内側である労働者自身の意識に焦点を当てることが必要だと考え、今回教育について論じるに至った。業界全体としては、各社が退社時間を徹底したり、業務体制を見直したりしているが、これを機に、労働者の意識についても見直し、改善の余地があるのであれば、教育から始めてみてほしい。

【参考文献一覧】
首相官邸,「働き方実現会議」,
(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/hatarakikata/),2017.09.22

伊賀泰代(2016),『生産性 マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの』(ダイヤモンド社)

神林龍(2010),『バブル/デフレ期の日本経済と経済政策 第6巻「労働市場と所得分配」5 1980年代以降の日本の労働時間』,(慶應義塾大学出版会株式会社)

中原淳(2006),『企業内人材育成入門 人を育てる心理・教育学の基本理論を学ぶ』(ダイヤモンド社)

小田理一郎(2017),『「学習する組織」入門』(英治出版)

ピーター・M・センゲ(2011),『学習する組織 システム思考で未来を想像する』(英治出版)


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