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ご実家は今もお元気ですか?

あなたにはまだ、自分の生まれ育った家がありますか?

私にはまだあります。
でも、遠くない未来、それがなくなろうとしています。
今日の記事は、1年近く前に書いたことの続きになります。

私は海外を転々とする根無し草の身です。
それでも、日本には 85歳の母がいます。
父は 12年前に他界しました。
広い家で独り暮らす母を、隣まちに住む私の姉と兄がサポートしています。

コロナ期間を除き、私は年に 1~2度その家を訪れます。そこで母とご飯を食べ、兄と酒をのみ、子供時代に自分の部屋だったところに蒲団を敷いて寝ます。

今年 1月に一時帰国したときのこと。
「お母さんのことやけどな」と兄から切り出されました。
「施設に入ってもらうことにした。お姉ちゃんも反対しとらん」

母がそれでいいなら、私も反対する理由はありません。
お母さんはなんて言うとるん?と訊くのは野暮な気がしてやめました。
兄が母の意向を確認していないわけがないし、母の言うことが本心かどうかもわからないと思ったので。

その 2日後、居間で新聞を読んでいたら、母がいつものようにデイサービスの話を始めました。
週 2回通っているデイサービスで、こんな食事が出た、こんなものを作ったと、母は楽しそうに話します。ひととおり話してから、少しの間沈黙が続いて・・・
「デイはラクちんでええ。家から通えるに。私はお勝手するのも好きやし、家の事をちょこちょこやったり、自分のことを自分でやれるうちは、ここにおりたい。でも、もうしんどなってきたわ。このうちは広すぎるで。もうこの家、なくなってもええかねえ?」

私は、何も言えませんでした。
母の真意がわからなかったのです。
この家におりたいも、広すぎる家を独りで守るのがしんどいも、たぶん本心なのでしょう。
でも、この家がなくなることについては、どうなんだろう。
「なくなったらいやだな」
と私が言うのを秘かに期待したのではないだろうか。


先週、兄からメールがきました。
母の施設への入居が無事完了したとのこと。
「私たちの家を撮影しておいたよ。これが見納めかもな」
と、スマートフォンで撮った 10分ほどの動画も送られてきました。

ずいぶんと断捨離をしたようで、家の中はすっきりと片付けられていました。
ただ、蔵書だけは手がつけられていません。
私の父は読書家でした。
その血を引くように、私の兄もまた本の虫のような人です。
私はその血を引かなかったようですが、だいぶ大人になってから、この家に泊まると父や兄の本棚から何冊か手に取るようになっていました。

「本は捨てられん。本の行き先が決まるまで、この家も取り壊すわけにはいかん」
と、兄のメールには書かれていました。
仏壇も神棚も処分したのに、本だけは処分できないと言うのです。

「更地にしてどうするか、アイデアある?」
とも書かれています。
こんな田舎の中途半端な土地、このご時世では単身者用のアパートか駐車場くらいにしかできないだろうなあ。

そのとき、変わりゆくジュネーブの町並みを思い浮かべました。
一戸建てだった民家を取り壊した跡に集合住宅が建てられているこのまちを、私は苦々しく眺めたんだったな。
ジュネーブ市民ならどう考えるかなぁ・・・
公園か、お花畑にでもするんじゃないだろうか。
なんて兄に提案したら「アホかおまえは」と一蹴されるか。

図書館を建てるのはどうだろう。
それなら兄者も賛成するんじゃないか。
蔵書も活用できて一石二鳥だ!と。

いやいやそんなことよりも。
やっぱりお家は取り壊さなあかんの?と言いたくなりました。
この世に永遠などというものはないかもしれない。しかし、いつか取り壊すくらいなら、そもそも家を建てたり買ったりする意味ってあるんだろうか?と、50を過ぎて持ち家のない私は疑問に感じてしまうのでした。

一方で、こうも考えました。
私の父は、この家を建ててくれた。おかげで私は「私たちの家」という風景をもつことができ、今こうしてそれがなくなることへの感慨にひたることもできているのだ、と。
私は 2人の娘に何を残してやれるだろうか。
女の子はいつか出て行くものだ、などと言われます。
でも、妻を見ていて思うのです。
女こそ「実家」が必要なのではないか。
実家。親が住んでいる家。かつて自分も住んでいた家。いつでも帰ってきていい家。私の実家は、私が 18のときから 33年もの間そういう場所でした。
私の実家はなくなっても、妻の実家はまだあります。
ならいいか。
 
自分の生まれ育った家がなくなることも、一つのライフイベントとして誰もが通る道なのかな、と思いました。

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