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遠きにありて思ふもの

最近、『白い巨塔』(ドラマ版・田宮二郎)を観たんですよ。
この田宮二郎版は、主人公の財前五郎がかなりのヒールっぷりでしてね。
唐沢寿明版の財前五郎が “いい人” に思えるくらいです。
そんな田宮二郎の演じる財前五郎が唯一やさしさを覗かせる場面が、母親を想うときの表情なのです。

財前は、結婚式以来 13年も母親と会っていないという設定。
財前がいるのは大阪です。母親は実家の岡山県に住んでいます。
現代(コロナ前)の感覚では「近いやん!」ですが、13年の間財前は一度も岡山の実家に帰っていないし、母親は一度も大阪に来たことがないのです。

ドラマの終盤、財前の長年来の愛人が財前の母親を見舞いに岡山まで行き、大阪に戻ってきた。財前は愛人に「世話をかけてしまったね。ありがとう」と、深々と頭を下げる。すると、愛人は真剣な顔で切り出したものです。

愛人「あたし・・・大阪からいなくなるかもしれない」
財前「えっ? どこ行くんだ?」
愛人「岡山」
財前「・・・? ふっ、何を言ってるんだよ(笑)」
愛人「あなた。ずっとお母さまをあのままにしておくつもり?」
財前「・・・・・・」
愛人「一人暮らしは気楽でいい、なんて笑ってらしたけど、本当はさびしいのよね。あたし帰ってくるのつらかった」
財前「そりゃ・・・僕だって一緒に暮らしたかった。できるだけ幸せな老後を送ってもらいたい。そう思ってるよ」
愛人「思ってるだけじゃ、なんにもならないじゃないの。仕送りだけで解決できる問題じゃないと思うわ」
財前「うん・・・で・・・じつは、選挙と裁判が一段落したらね、おふくろをこっちに呼ぼうと思うんだ」
愛人「呼ぶって、あなたのおうちへ?」
財前「いや・・・同居をさせることは、おふくろをみじめにするだけだよ。大阪の近くに小さなうちを見つけて、そこに住んでもらおうかなって」
愛人「それほんと? お母さま喜ぶでしょうねぇ」
財前「でも、おふくろのことだから、すぐにはうんと言わないと思うんだ。だからそのときは・・・君から口添えしてくれないか?」
愛人「もちろんよ!」

『白い巨塔』(1978年)第28話より書き起こし

と、愛人は感涙しながら、財前五郎を抱きしめるのですが。

お母さん、喜ばないよ。
って私は思ったんだよね。
それはなぜだろう。

私は、自分の母親のことを想っていました。
私の母は、愛知県の小さな田舎町に住んでいます。
かつて私も住んでいたその家は、一人で住むには過分に広いのですが、私や私の姉・兄がときどき帰ってくる場所として、減築もせずそのまま残されており、現在は母が一人で住んでいます。父は 11年前に他界しました。
今年 85歳になる母は、心身ともにしっかりしていますが足が少し悪いため、要介護 1 に認定されており、デイサービスに週 2回通っています。

先週、姉と兄から連絡を受けましてね。
「そろそろ施設に入ってもらうことを考えている」
という連絡というか相談でした。
きっかけは、母がデイサービスの日を忘れてどこかに出かけていた、という “事件” でした。デイが大好きで、週 2回のデイを楽しみにしている母が、その日を忘れるのは初めてのことだったらしい。
たかがそれくらいのことで “事件” とは大げさな・・・
と思いましたが、母のことを姉と兄に任せっきりで、ずーっと海外暮らしの末っ子には、あまり発言権がありません。

でもね。これだけは言いたかった。
お母さんはなぜ、その家から離れられないのか。
それは生まれた場所だからとか、先祖代々の云々とかそういうことよりも、近所にお友達がいるからだと思うんだ。
一緒にお茶を飲んだり、グランドゴルフしたり、バスツアーに行ったりする仲間たちが一番大切なんだ。
施設は愛知県内といっても、お仲間さんたちの徒歩圏内ではなくなるわけで、それを奪うことだけはできないと思う。
だから施設に入れることには反対・・・
とは言えないよね。私の立場で。
私が姉や兄の立場だったら、ふざけるな、と言うだろう。
海外を転々と自由気ままに生きてきて、どの口が言うとんじゃい、と。

幸い、うちは姉兄弟仲が非常に良いので、絶対にケンカになったりはしませんが、それでもやはり言っていいことと言ってはマズいことの区別くらいはします。
結局その件は、結論保留となりました。

そんなことがあったので、財前五郎が母親を大阪に呼んでも、母親は喜ばないだろうと思ったのでした。
『白い巨塔』を観て考えさせられるポイントが明らかにズレているわけですが、親と子は一緒に暮らせないのだろうか、ということを真剣に考えてしまいました。同居でなくとも、せめて同じ市内とか、近くに住むことはできないものなのでしょうか。

私が実家を出たのは、大学に入った 18のときです。
このタイミングで実家から出た人は多いでしょうね。
私は、京都に住み、大阪に住み、東京に住んだあと、海外と東京を行ったり来たりする人生を歩んできました。
その間ずーっと、親とは年に 1度か 2度会うだけのかかわりでした。
13年会っていない財前五郎よりはマシですが、似たようなものではないか。

姉や兄のように、愛知県内で生きていくという選択はとれなかったのか。
仕事がなかったから?
いやいや、そんなはずはない。愛知にはトヨタとその系列会社がゴマンとある。日本有数の職に恵まれた地だ。
私は、自分が生まれた場所で生きていくことを、敢えて選ばなかったのだ。
なぜ?

たぶん、同質性を嫌ったのだと思う。
家族、地元の友達、そして新たに出会った人たちさえも。
同じ方言を話し、同じ話題についてしゃべり、同じ人のことを噂する。
そういう同質的な世間で生きていくことに恐怖したのです。
社会人になっても、帰省すると地元の仲間らと会う。
「〇〇と△△が結婚したってよ」
〇〇も△△も共通の知人だから、それだけで話が通じてしまう世界。

地元を捨てた私は、同時に母も捨てたのではないか。
コロナ後香港から出国できず、母とは 2年半会っていません。
「国際電話は高い」と思っている母は、私と電話で話すことを好みません。
まして、ビデオで通話するなど夢のまた夢です。

私はお母さんに会いたいのか? と自問すると、思考が止まります。
そのとき、財前五郎の気持ちがわかってしまうのです。
なぜ、13年間も母親に会わなかったのか。
なぜ、生まれ故郷の岡山に帰らないのか。
なぜ、同居は「おふくろをみじめにする」のか。
そして、おそらく本心では、おふくろを大阪に呼ぶ気はないことも。

その後、財前五郎(田宮二郎)がどうなったか、ご存じの方も多いでしょう。

今年のお盆は、日本に帰ろうと思います。

(追記)
1年後の後日譚です。

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