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女たちよ。努力をやめよう

努力。日本人が好きな言葉の一つですね。
日本人の美徳を象徴するような精神ですが、それを強いたり美化しすぎたりする風潮が私は苦手です。

ときに、努力していない女がモテるのはなぜでしょう。
女は、女であるという、ただそれだけでかわいいからだ、と私は思います。

努力していいのは外見だけ

最初に身も蓋もないことを言いますが、女性の外見的な美は、努力しだいでなんとでもなる、と思っています。

過去の記事で、人間の顔の美に基準などありえない、と断言した私ではありますが、世の男たちが女性の外見にかれることは否定していません。

美に基準はない。それでも、個々の男性が個人的に好きな顔・体型・髪型・メイク・スタイルなどはあります。
それらは、研究したり模倣したり、その他いろいろ努力することで、比較的容易に実現させることが可能です。

一方、内面の美を手に入れるのはそう簡単ではありません。
巷には「内面を磨け」的な啓発が蔓延はびこっていますが、大きなお世話ですね。
外見と違って、内面は努力してなんとかなるような生易なまやさしいものではないのです。
内面を磨こうと必死に努力している人には悲痛さが漂っています。
身近にそういう人がいたら、努力する必要はないんですよ、と教えてあげたくなります。

外見の勝者は内面の勝者に負ける運命にある

男たちは女性の外見に魅かれる、と言いました。
なので、女性が努力して外見を磨くことは一定の効果があります。
しかし、外見の美に魅かれた男の愛情は長続きしないのもまた世の常です。
ゆえに外見の美の勝者は、惚れられやすく飽きられやすい傾向があります。

男たちが女性の内面の美に気づくには、一定の時間がかかります。
それは、外見の美が男たちの目を曇らせるから。内面の美より先に外見の美に意識が向かうのは、オスの習性のようなものです。

男にとって女性の内面の美とは、じわじわ効いてくるボディブローみたいなものです。効いていることにしばらく気づかなかったりします。
そして、気づいたときにはすでに足にきているなんてこともあります。
内面の美にやられた男の愛情は、半永久的に持続する力をもっています。
したがって内面の美の勝者は、たとえ最初は負けていたとしても、最後には勝つようにできているのです。

ジョー2


男とは、関わる時間が短い女に外見の美を求め、長く関わる女に内面の美を求める、メンドクサイ生きものなのです。

自然体の女が一番かわいい

男はかわいい女が好きです。
これは、古今東西変わらない原理だと思います。
男がこの「かわいい」という言葉を使うとき、あるいは「かわいい」という感情を抱くときというのは、無意識のうちに外見と内面を結びつけています。
外見だけを切り離して言うときや、内面だけを評するときには、ほかの言葉を使うものです。

内面の美は努力して手に入るほど生易しいものではない、と言いました。
むしろ、努力すればするほど「かわいい」という形容詞から遠ざかっていくように感じられます。

内面の美は、日々の暮らしを粛々と営む中で自然に磨かれていくものです。あたり前のことをし、こころに余裕をもち、自分らしく在ること。
無理しない。我慢しない。背伸びしない。

水やり7

どりょく【努力】
目標実現のため、心身を労してつとめること。(広辞苑)
どりょくをやめる【努力をやめる】
目標値を下げることによって、心身を労せずに自然体のまま目標を実現すること。(世界の普通から)

内面の美を具えたかわいい女性たちを何人か知っています。
彼女たちは、がんばりすぎず、マイペースで、ただ毎日をていねいに生きているように見えます。

まとめ

努力することを否定はしません。
ただ、力が入りすぎると、自然体から離れていき、かわいさが失われます。
女は生来かわいいものなので、無理をするよりも、自分のままでいるほうがかわいい女でいられると思います。

努力をやめても、人はそうそう堕落したりはしません。
それより、努力をやめることで、疎かにしていた日常の営みの尊さに気づくことがあります。

日本には努力信仰があると思います。
努力を何よりも重んじ、努力すれば不可能なことはない、みたいな教え。
「努力」には、奴隷の「奴」の字が含まれており、さらに「奴」には「女」の字が含まれていますね。
隷が如く努力せよ、なんて呪いがかけられているのかもしれません。
呪いを解くには、努力信仰から脱することです。

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(追記)
「やめよう」シリーズの第 1話です。

👇 第 3話です。