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海外生活 8年の娘が英語を話せない

海外駐在員の娘に生まれて

私の娘は東京で生まれました。
名前を “かず” といいます。

かずが 1歳のとき、私は妻女とともに東京からスイスに移住しました。
かずは 3歳でスイスにあるインターナショナルスクールに入りました。
グローバル企業だけでなく国連の機関も多い都市にある、世界最古と言われるインターナショナルスクールです。
14人のクラスは 12の国籍からなっていました。
日本人はかずひとりだけでした。

そんな特殊な学校に、かずは 3歳 ~ 7歳の 4年間通いました。
その学校には「宿題を課さない」ポリシーがありました。
さすが世界で最も古いインターナショナルスクールだな、と思いました。

私は、かずが英語を話すのを聞いたことがありませんでした。
クラス担任との面談で「娘が英語を話せないようで心配しています」と言ったら、先生(イギリス人女性)は「心配なさらないで。母語を正しく話せることのほうが大切ですよ」と、にこやかにおっしゃいました。
さすが世界で最も古い以下同文。

私も妻も教育熱心ではありません。
娘をバイリンガルとして育てようと思ったこともないし、学業成績も普通でいいという考えです。
なので、この学校の方針には大いに共感していました。

かずが 7歳のとき、私たちはスイスから香港に移住しました。
かずは、香港でカナダ系のインターナショナルスクールに転入しました。

私はダメな親だったのか

香港で、かずがカナダ系の学校に通って 2年になります。
先月 Grade 3(小学校3年)の最後の授業が終わり、今はすでに夏休みに入っています。

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終業日の 6月某日、かずは Report Card(成績表)を持ち帰ってきた。
各教科の評価方法(スケール)は以下のとおり。

A : 目標を上回った
B : 目標を達成した
C : 目標に近づいた
D : 目標を下回った
R : 改善(Remediation)が必要

教育熱心でない私は、R じゃなきゃいい、と思ってる。

算数が A、英語が C、それ以外(科学、社会、アート、体育)が B か。
前回とほぼ同じで、サプライズはない。
クラス担任の所見 (Observations) を読む。
半分ほど読んだところで、私の目が止まった。

クラスメイトとコミュニケーションがとれていません。英語を話すことに自信がないようです。グループ討議では人の意見を聴いていますが、意見を求められても話せません。

内容がうまく頭に入ってこない。
脳が機能を停止しているらしい。

落ち着こう。
キッチンに行って強い酒をとってくる。
小グラスに注いで、一気に飲み下した。

いま一度、所見を読んでみた。

友達とコミュニケーションがとれない?
自分の意見が言えない?
私の子が・・・ですか?

しばらくの時間、沈思していた。

いつのまにか私は取り返しのつかない過ちを犯していたのか。
その考えが、ぐるぐるぐるぐる回っていた。

初めて娘に説教した

翌日は長い夏休みの初日。

午後、かずは部屋で本を読んでいた。
『学習まんが 日本の歴史』
「いいねえ。これパパも読みたいやつや」と言って、床に腰を下ろす。
かずは、来るものが来たか、という顔になった。

かずに Report Card を渡して、Observations を読んでみて、と言った。
かずは神妙な顔つきで、ゆっくり時間をかけて読んでいた。

私「なんて書いてあった?」
かず「・・・・・・」

さすがにショックを受けているのだろうか。

今思えば、このとき私は何も言うべきではなかったのかもしれない。
Report Card を読ませるだけで十分残酷なことをしているのだから。
しかし、今まで一度も説教らしいことをしたことがない反省もあり、大切なことはきちんと言葉で伝えようと思ったんだ。

「かず。パパは今まで学校のこととかきかなかったよね。かずはだいじょうぶだと思ってたからだよ。勉強のことはいいや。かずは算数が得意だよね。英語はちょっと苦手かもしれないけど、かずは日本語が話せるんだから、ぜんぜん問題ないんだよ。
それより、人にはもっと大切なことがあってね。それは ”人とかかわる” ってこと。人間はひとりじゃ生きていけないの。だから、なかまが必要なんだ。クラスのなかま、友だち。わかる?
なかよくなるためには、やっぱり話さなきゃだめだ。相手の話をきくことも大切だよね。でもね、きくだけじゃだめ。相手もさ、かずのことを知りたいんだよ。かずが話さなかったら、何もわからないよね。
ちょっと難しい話かもしれないけど、日本人って、話すの苦手なんだよね。かずも日本人だから話すのが苦手なのわかるよ。パパもじつは苦手だ(笑) でも、がんばって話した。なかまがほしかったから。かずも、勇気を出して、クラスの子に話してみなよ。なんでもいいからさ」


その日から、かずは全く話してくれなくなった。

妻とは普通に話しているらしい。
しかし、食事のときなど私がいる空間では一言も発しないし、自分の部屋に閉じこもりがちになった。
そんな状態で 3日たち、1週間が過ぎ、10日にもなろうとしていた。

余計なことを言ってしまった・・・
私は地味に後悔していた。

会話がなくなって 10日

昨夜、子供たちが寝静まってからのこと。
妻が「かずがパパにって」と封筒を渡してきた。
妻の目を見ると、おだやかに微笑んでいる。

封筒を持って自室に入ろうとすると、「これも」と箱ティッシュを渡しやがった。

何のマネだよ。ばーか。

封筒の中には、2枚の便箋が入っていた。
それは、鉛筆で書かれた英文の手紙だった。

ふふ、ヘタな字だ(苦笑)

よく見ると、紙には何度も消しゴムで消しては書き直した跡があった。
鼻の奥がつーんとなった。

(娘が書いた英語の原文を載せるのはちと気が引けるので和訳しました)

Report Card に書いてあったことは、わかっていました。
でも、パパにもママにも言えませんでした。
学校でだれとも話していないこと。
言ったら悲しむと思ったし、はずかしかったからです。

英語がうまく話せません。
読んだり、聞いたりはできます。でも、話すことができません。
ジュネーブの学校でも、私は英語が話せませんでした。
みんなは上手に話しているのに、私だけが話せませんでした。

香港に来て、自分を変えたいと思いました。
ジュネーブのみんなのように、クラスのお友達と楽しくおしゃべりしたいと思いました。
だけど、香港でもうまくいきませんでした。
話すことを考えているうちに、みんなが話してしまい、私は速さについていけませんでした。
私はまた聞くだけになっていました。

私は今でも英語が話せません。
自信がないからだと思います。
本当はみんなと話したいです。
だから、もっと英語の勉強をして話せるようになりたいです。
今はまだそれしか言えません。
ごめんさない、パパ。

Kazu


子の心、親知らず

当時広尾にあった愛育病院にはポリシーがあった。

◎ 産まれる前に子の性別を告知しない
◎ 父親は分娩に立ち会うこと

私は、産まれてくる我が子を男の子かなと想像してた。
うちの家系は男の子が多かったから。

予定日前の深夜に妻が産気づき、一緒にタクシーに乗って病院に行った。
あっという間にお産が始まった。
遠慮する私をナースが無理やり分娩室に押し込んだ。
呻く妻に頭が下がる思いの中、なかなか目を開けられなかった。
でも、産まれ出てきた瞬間の映像は、はっきりと瞼に焼き付いている。

助産婦「女の子です」

「女の子か・・・」
言葉が思わず漏れたっけ。

超がつく安産でしたよ、と産科医も助産婦もナースも口々に言ってた。

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9年前のその夜を思い出していた。
かずの手紙をじっと見つめた。

大きくなりやがって・・・

箱ティッシュをくれた妻に、ありがとよ、と言った。