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潜在意識を知れば、生き方が変わる②

こんにちは、DNAシフトセラピストのまさといいます。

前回は、私の悩みの原因が、「世界の捉え方を根本的に間違えていた」からだ、という話をさせて頂きました。
では、何を間違えていたのか?正しい世界の捉え方とは?それと潜在意識と何が関係あるの?今回は、そうした話をしていきたいと思います。

【潜在意識の特性 ~顕在意識と潜在意識~】

人の意識の95%は潜在意識ーそんな話を聞いたことがある方もいらっしゃるのではないか。それだけ広大な潜在意識だが、普段から意識することは稀だと思う。まあ、自覚されることのない意識だからこそ潜在意識なわけであり、ある意味当然だ。 

潜在意識には、私たちが顕在意識として意識した情報が、すべて蓄積されている。顕在意識で見たもの、聞いたもの、知ったこと、感じたことー。自分にとって、好ましい情報も好ましくない情報も、潜在意識に蓄積されていく。自分が意識的に覚えていようといまいと、だ。
例えば、過去に経験した悲しい出来事があったとする。悲しい、傷ついた。その想いを、信頼できる人に吐露したり、自分を納得させて気持ちの整理をつけようとしたり(あれは仕方がなかった/こう捉え直せば結果としてよかったのかもしれない、etc)、時の経過と共に日々の新たな情報に埋もれていったり、そうした中で悲しかったという感情は「顕在意識下では」徐々に感じなくなっていくだろう。
でもこの感情、潜在意識には1つの「情報」として、ばっちり残ってるんです。だからふとした時にその時の感情を思い出したり、似たようなシチュエーションで臆病になったり、そこまで意識的でなくとも「何となく気が乗らないわ」という気持ちに襲われたり、といったことが起こりうる。
そして、このように潜在意識下に蓄積された「感情」や「考え」といった情報は、私たちが意識しないうちに、私たちの行動や可能性を制限しているのだ。ん、どういうこと?ということで、少し事例を見ていきたい。

【潜在意識は「繰り返す」】
潜在意識に累積した感情などの情報は、知らず知らずのうちに、私たちの考えや行動に影響を及ぼす。
自分の例で恐縮だが、私は昔から自分に自信のない子供だった。当時、そのように感じていた理由は色々あった。今となっては他愛のないことも多い。他の子と比べてかわいくないと思っていたし、成長が早くて体が大きかったのでますますその引け目があった。運動が苦手だったり手先が不器用だったりで、他の子が何気なくこなしていたことが出来ないことがあった。内気で、たまに仲間外れにされた(いじめというほどのものではなく)。両親の性格上、あまり褒められることがなく、叱られることが断然多かったので(今思い返せば)自己肯定感が育ちにくかった、などなど。

大人になるにしたがって、その時悩んでいたことのいくつかは、自然と「どうでもいいこと」になっていった。また、「意識的に」考えを変えることで、以前よりは気にならなくなったこともあった。それでも、自分に心から自信を持てたかと言えば、そうではない。ただ、大人になるにつれて「皆そういうもので、仕方ないでしょ」と割り切ることを覚えていった。割り切ることに伴って、自信がないことに纏わる様々な考えや感情は、蓋をされて忘れ去られていった。

ただ、割り切って克服したようでいて、無意識に根強く残っているのがこの潜在意識の特徴だ。私の場合は、自分にとって興味はあれど少しチャレンジングな機会が巡ってきたときに、知らず知らずのうちに足を引っ張られた。「私にはできないだろう」「今の私では力不足だろう」ー。やってみたいという思いより、そのネガティブな思いが勝り、いくつもの機会を見送った。そのくせ、勇気を出して手を挙げた人の成功が、うらやましくも感じていた。ああ、いいな、私は…という負い目がいつもあり、その負い目から「どうせ私は・・・」という自信の無さが、さらに増幅されていった。

この「自信のなさ」は、人間関係にも現れた。私は、表面的にはそれなりに社交的な人間と自負していたし、自分を知る人間に私の印象を聞けば、その点は同意してくれると思う。しかし、内面では自分に自信がないので、友達に対しても怖くて「一歩懐に入る」ということが出来なかった。相手が先に心を開いてくれたなら安心して開けるが、自分からは開けない。だから皆と親しいけれど、誰とも「特別に」親しくなることはない。そんな疎外感を勝手に抱いていた。その疎外感がまた、「どうせ私は・・・」という想いを強めるのだ。

上記に書いたことは、1度や2度ではなく、「私って、いつもそうだよね」という感じで、何度も繰り返してきたことだ。潜在意識は、繰り返す。そのからくりは、こうだ。
①潜在意識に、何かネガティブな感情などがある場合、無意識にそれを避ける考えや行動をとりやすくなる
②向き合うべきものを避けた結果、自分が心底喜べる結果になることはあまりない。上記で言えば、「どうせ私は…」という自分への自信のなさがますます強化され、再生産されることになる
③潜在意識下のネガティブな感情累積がさらに強化され、悪循環にー。。。

なお、質が悪いのは、「私にはできない」というのが、「過去から累積された『自信がない』という想いから生じた判断」ではなく、「今の自分を現実的に見つめた結果の合理的な判断」と思っていたところだ。これが、前回お伝えした「世界の捉え方を根本的に間違えていた」という点に繋がる。現実起点で物事を見れば、現実を超えられることはない。だが、以前の私の考え方は、「(自分の望まない)現実起点」の考え方であり、足下の現実を「変えようのない事実」だと捉えていた。
人間関係における疎外感も、「自分はこういう人間だから仕方がない」と自分自身を規定してしまっていた。これも、元はといえば潜在意識に累積された感情(が引き起こしてきた現実)から生じていたものだが、「自分を客観的に捉えた結果」と考えていた。皆さまは、もうお分かりだろう。この考え方の先には、これまた「(自分の望まない)こういう私」の再生産しか、道はないのだ。
かくして、自分の望まない現実が「事実として」繰り返されてゆき、「ああやっぱり」という負の確信がどんどん強まっていき、その情報は粛々と潜在意識に累積されていき、未来の自分の判断に影響を与えてまた自分の望まない現実を引き起こす、という、負のスパイラルである。

【「現実起点」で考えないということ】
少し長くなりましたが、潜在意識の特性の一端と、それが「世界の捉え方」なるものにどう関係するの?ということを説明させて頂きました。
次回はまた別の視点から、「現実起点」の考え方がどんな影響を及ぼしうるか、またそこから脱却するために、どのような「考え方のパラダイムシフト」が必要なのか、ということをお伝えしたいと思います。


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