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Dear miss

あまり身体が丈夫なほうではないのですが、今年は特に厳しくて、春から夏が終わるまでの間はほとんど寝たきりに近い状態でした。
なにを食べてもアレルギー反応が出てしまい、安心して食べられるのは納豆と豆腐くらいでした。
それでもしっかり蕁麻疹が出る。

体重が落ちて、いまは43kgと45kgを行ったり来たりしています。通常時が50kg弱なのですが、通常時でも軽い部類なのでそこからまた痩せるとそれなりにダメージがある。(身長171cm)

薬の数を増やしたり、座禅を組んだり、糖質を制限したり、呼吸法を試したり、いろいろやってはみたのですが、身体も心も弱っているので次々に別の問題が出てきて、誰かにSOSを出さないと気がおかしくなりそうでした。というか、だいぶおかしくなっていました。集中力が著しく低下して、本も3行くらいしか読めないし、ラジオも話の内容を半分も理解できないし、ものすごく短気になって、シャツのボタンを1つずつ掛け違えただけで、この世の終わりのような気持ちになりました。

毎日を正気で生きているひとは偉いです。褒めてあげます。(嬉しくないだろうけど)


心療内科に通うべきなのですが、予約の電話と診察の空虚な会話のことを想像すると、どっぷりと途方に暮れてしまいます。
もう病院はたくさん通いました。
…というのは言い訳だけど。

・・

眠るときの自分の呼吸音と脳から聞こえる誰かの叫び声がうるさくて、柔らかなピアノの曲で気持ちを落ち着かせていました。
柔らかなピアノは水の音と似ている気がします。
わたしは水も好きです。

脳から叫び声がする現象、じぶんだけだと思っていたのですが『頭内爆発音症候群』という名前のある症状らしいですね。子どもの頃からわりと頻繁にあります。知らない男の人の声で「とおる!!!!!!(本名)」と叫ぶ声がします。すごく恐い。なので日常生活でも下の名前を遠くから呼ばれたりすると結構ギクッとします。


・・

知り合ったひとに「なんで詩を書いているんですか?」と質問されることがあるのですが、わたしが詩を書くようになったのは音楽(歌)をやめたとき、歌詞を書く作業の延長に詩があったからです。

歌をやっていたころ、ひとりのお客さんに「これからも優しい歌をうたってくださいね」と言っていただいたことがあって、それが歌声のことなのか歌詞のことなのかただのご挨拶だったのか分からないのですが、わたしはそれからずっと"優しいもの"を作りたいと考えてきました。
それは上辺だけのぺらぺらの優しさではなくて、2018年のチャットモンチーのシャングリラみたいに奇跡のような優しさがいい。



だから「なんで詩を?」に対する答えは、「優しいものを作りたいから」です。たまたまそれが詩だっただけで、ずっと歌をやっていたら音楽だったろうし、服だったかもしれないし、家だったかもしれない。

優しいものを作るためには、気持ちを真面目に伝える必要があります。優しさには温度があります。奇跡みたいに、おばあちゃん家の毛布みたいに、あったかいものを書きたい。

体調に左右されがちな日々の中で、まだ間に合うかなぁ、と思いながら毎日なにかしらを書いています。堂本剛さんについてのエッセイが今のところ一番近いのかもしれない。これまで書いてきた詩の多くは、優しさとはかけ離れているかもしれません。書き続けることも大事だけど、正直焦ってもいます。

今までたくさんのひとや作品から受け取ってきた優しさを、いつの日かあなたに届けられますように。


・・

『 Dear miss 』

彼女は綺麗な革靴を履き
こころもち首を傾げて話しかけてくれる
月と猫を見つけると
まっすぐ指さしてわたしに報告してくれる
目を細めてカメラをかまえると
思いのほかあっさりシャッターを切る
切りとられた風景は
いつでも少しだけ悲しげだ

見えない誰かに感謝したくなるときがある
それはどこかの神様かもしれない
亡くなった小さな祖母かもしれない
大好きだったわたしたちの猫かもしれない

Dear miss
消えてしまった美しいものたちへ


#エッセイ
#自己紹介
#詩

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