残念ながら、ご心配なく。
わたしはどうやら今幸せらしい、ここ最近撮られた写真を見ると、どれもこれも楽しそうにへらへらと笑いまくっているのだ。
もともと瞼が重いタレ目をしている上に、口角を上げるのがへたっぴなせいで、太陽みたいな笑顔は作れないけれど。
それでもニヤニヤと、時に大口を開けてただでさえ無い目を余計に無くして、楽しそうな笑みを浮かべて写るわたしがそこかしこにいるのだった。
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キレのある文章は自分のメンタルの闇深くから生まれる。わたしにとってはそういうものだった。
誰かや何かにぶん投げたい思いがあって、それをこねくり回してどうにか表に出せるよう形を作っていく。
それがいわゆる「キレのある文章」になるのだと思う。
確かに、文章を書き始めたのも写真を撮り始めたのも、マイナスの感情をさらけ出してデトックスしたい、というのが根底にあった。
そしてそれは「マイナスの感情が無くなったら書けなく/撮れなくなるのか?」という疑問も生んだ。
今のわたしが思う答えとしては、「案外そんなことはないはず」。
文章を書き始めた頃に比べて、ぶん投げたい思いは明らかに減っている。でもやっぱり何かを書きたいし何かを撮りたい。
そしてあわよくば沢山の人に見てほしい。
傲慢だろうか。
なんにも持たないわたしだけれど、確かにここで言葉を発していること、目に見えるものを切り取っていること、それを誰かに知ってほしいと思ってしまう。
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少し前までのわたしには想像もつかないくらい楽しい毎日を送っている。
仕事の不満やその他諸々はあれど、生活に困ることも体を壊してぶっ倒れることもなく、充実した日々。
驚くことに友達も増えた。
もともと極度の人見知りで、初対面の人と会うときは「おなかいたい…」なんて言い出すようなタイプだった(というか今でもそうだ)。
でも、楽しそうなことや面白そうなことには目がないのだ。
今まで少しビビっていたけれど、面白そうだと思えば初対面の人ばかりの場所にもガンガン出向き、知り得なかった人と知り合うようにした。
結果、以前よりも楽しい毎日を送っている。
20代後半にして友達が増えるとは思っていなかったけれど、そして友達が増えたからといって必ずしも楽しく幸せな毎日を送れるわけではないと思うけれど、知っている人が増えていくのはとても面白いものだ。
自分のことを知ってくれる人も増える。そこから興味を持ってもらえるかどうかは、当然わたし次第なのだが。
ただ、会う人々を楽しませられるほどのスキルが無くてなんだか申し訳ないので、それはこれから磨いていかなければな、と心の底から思っている。コミュ力がほしい。
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楽しい毎日を送っていく中で、マイナスの感情は嬉しいことに減っている。
それにつれて(かどうかは分からないけれど)わたしの文章も写真も、見てくれている人が少しずつ増えてきたのをなんとなく感じる。
マイナスの感情を外に向けてぶん投げる文章の方が、きっと面白くしやすい。ウニみたいにトゲトゲしていて刺さりやすいから。
でもそのトゲはたぶん、投げる手を少しずつ傷つけていく。
小学生の時、校庭や公園でよくドッジボールをした。
あのとき使っていたボールはいつも同じやわらかいゴムボールだったけれど、わたしのボールはふよふよと弱く誰にも当たらなくて、スポーツ少年のボールは鋭く強くヒットしやすかった。
ウニじゃなくて、やわらかいゴムボールでも誰かに届くはずなのだ。
ドッジボールでは弱くても、今わたしが立っているフィールドでなら、鋭く強いゴムボールを投げられるかもしれない。
武器を弱くするのも強くするのもわたし次第だ。
ふふふ、面白いじゃないか。いっちょやったろやないかい。
ふつふつと「楽しい」笑みが湧いてくる。
笑おうと思って笑うわけじゃなくて、緩まった蛇口みたいに、へらへらと笑みをこぼし続ける。
わたしはどうやら今、幸せらしいので。
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