散文だとか日記だとか:浅知恵に情け
何らかの理論や法則を実践すれば他人のためになると思っている人は総じて浅い、取って付けたような公式に取り込まないで相手を見てくれ。
浅いのは勉学や知識の量ではなく見る目。向かい合ってるのは人間なんだよ
人間を公式に嵌め込むのって失礼だと思うんだよね。イレギュラーを見つけると「思ってたのと違う!」なんて正しに来ないでほしいものです。
私は利己的な人間だ。やりたくないことは(しなくて済むなら)極力やらない。自分のやりたいように生きる。
ただし、できる限り他人に迷惑をかけることのないように。自由には責任が伴う。
誰かのために生きるとか自己犠牲精神とか、正直苦手である。全方面に気をつかわせるだけじゃん。それで「してあげた」なんて顔をされた日にはもう、近寄んないでくれとすら思うね。
学生時代に言われたことがある。「自己犠牲精神が足りない」「もっと他人のために動いてほしい」とかそんなの。
部活動というチームで動いているわけだから、言われたことはごもっともだったんだけれども、どうしても「自己犠牲精神」という言葉に引っかかってしまう。
なに自分を犠牲にした(ような顔して)気持ち良くなっちゃってんの? と思いました。私の性格がゴミなのは重々承知の上である。
情けは人の為ならず。自分のためにかける人への情けって、なんかちょっとかっこ悪くないですか。たぶんその「自分のため」感、透けて見えてるよ
情けをかけることは、結局その人の為にならない(ので、すべきではない)。言葉としては誤用だけど、私はこっちの方が好きだな。
と思う今日この頃でした。たまには毒、吐いてこ。
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