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僕が旅に出る理由は

列車を乗り継いで少し遠くの見たことがない景色を見ることも旅だといえるだろう。息が詰まりそうなことも、今宵の月が僕を誘うことも、なんなら車でなくたっていい。ターミナル駅で電車を降りて路線バスに乗ればいい。ロードサイドの店だって行こうと思えば気楽に行ける。列車を待っているときによく見た行き先の平塚を「はじめて」歩いてきたので振り返っていく。

東海道線は15両を繋ぎ、湘南の海を傍に添えた静かな神奈川県の郊外を走り抜けていた。途中、藤沢、辻堂、茅ヶ崎で満載していた客を一通り下ろして終点の平塚に着く頃には車内には空席が目立っていた。差し込む日差しが12月にしては不思議なほどに暖かい。

駅に着いて扉は自動で開かず、開閉ボタンを押すのもなんだか懐かしい。階段を上がって降りて、バスターミナルでお目当ての行き先を見つけて、バス停の前に並んでいるとしばらくして小ぶりな路線バスが来た。走り出してしばらくはアーケードがついた商店街だったものの次第に店が減っていく。建物もビル、マンションから戸建てが増えていき、国道1号を跨いでロードサイドの店舗が並ぶようになっていた。ラーメン屋、ファミレス、中古車買取店、どこかで何回も見たような慣れた景色が広がる。これは多少の差こそあれ日本全国同じように見られる景色ではないかと思う。訪れたことのない場所のはずなのにどこか見覚えがある感覚がある。

お目当てのお店は家電量販店の駐車場にあって、母屋が家電量販店の店舗であればその離れという感じで、広々した駐車場の中に平屋がぽつんとかわいらしく立っていた。「ポパイ 上平塚店」とGoogle Mapには書いてありどこかのチェーンである書きぶりだが、どうやらそうでないように見える。中年の男性と女性が手作りのようなエプロンをつけて、建物の中にあるキッチンで絶えることないオーダーに対応していた。

屋根が長くとられた軒先にはコカコーラのベンチが数台と据付の悪い丸型テーブルが置かれていて、駐車場ではなく池でもあればボート貸しの待合室のようにも見える。その日が日付で言うと冬のど真ん中なはずなのに、不思議なほど暖かい日だったからなんの躊躇もなく屋外のベンチに座って何を食べようかとしばらく思案した。

フライドポテト、ハンバーガー、たこ焼き、お好み焼き、ソフトクリーム、醤油ラーメン、味噌ラーメン、カリーヴルスト…最後のこれはなんだろうか。気になったので注文する。ヴルストはソーセージで、切ったそれとフライドポテトが敷かれた上にケチャップとカレー粉が振ってある。車で来ることを想定した店だから仕方ないのだがビールを置いていないことが惜しまれる。

一通り食べたもののやはり気になっていた味噌ラーメンを注文した。おそらくスーパーで売っているラーメンスープと出来合いの麺の上に卓上のりが数枚乗っているだけのシンプルなものだが、400円でこれを食べて暖が取れるなら冬にはありがたい。何か見覚えがあると思えば近いものを高校の学食で食べたことがある。飯は日々の糧だけでなく時にタイムカプセルにもなりうるのではないだろうか。のりがしっかりと香りを立てているものの基本的にはチープな作りである。しっかりとした昼食もないまま午後3時の腹ごなしにはちょうどよかった。きっとかつてはお弁当を昼にとってもこの時間になればおやつ程度には食べられたような気がする。

歳をとって出来ることが少しずつ増えてきたし、やりたいこともたくさんあって、全てを丁寧にやりきるために忙しなく時間を使っているように思う。駐車場の端でふとタバコに火をつけて空を見上げると、ゆっくりと雲が流れていることに気付かされる。1時間あまりベンチの上であれだこれだを友人と話しながら食べていて、贅沢に時間を使っていたことに驚いたけれど、土曜日の午後はそれくらいのどかでいいし、このロードサイドの雰囲気は、懐かしさは、心地よさにはちょうどいい。

帰りはバスに乗らず歩いて駅まで向かうことにした。ゆっくりと日は沈んでいく。電波塔と冬らしく高い空が水色にささやかな陽の暖色を交えてゆく。けれでも空気は暖かく、自分がどこにいるのかわからなくて、まるで夢を見ているのではないかと思う。ああ、きっとどうでもいいんだ。身ぐるみ全部剥がされて、全部後回しにしていい。僕には旅に出る理由なんて何ひとつない。

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